町名 清末・吉田
キャッチフレーズ 下関の維新史跡 
所在地 山口県下関市清末陣屋、下関市吉田
最寄駅 JR山陽本線小月駅
訪問 2021年12月
江戸時代末期の大名は毛利氏(長府藩5万石の分家、萩本藩の又末家)、一万石、外様
下関市といいながら、観光客がイメージする下関からはだいぶ離れています。「小藩大名の家臣団と陣屋町 2 」に載っているくらいだから、遺構もだいぶ残っているはず。小月駅から少し距離があり、タクシーで回れるような身分ではないので、折りたたみ自転車を持って行きます。自転車を走らせていると、地元なので安部さんのポスターをよく見ました。

観光案内所はありません。
武家屋敷ゾーンは高台にあり、藩邸跡地は例によって学校や公民館敷地に転用されています。地域の有志で建てたらしい案内看板がありました。ただ主要な交差点等に何点かあるだけで、現地近くまで追いかけて案内しようとはしていません。が、それほど難しいわけではなく、本で調べていたこともあり何となく行けました。


天保期は高二百石を筆頭に士分が175人、足軽95人、中間・小物110人の計380人だったそうです。当時を彷彿とさせるのは

内藤家(近寄ったときからここは目立っていました。敷地が広いし木々に囲まれていて中が見えない)

伊木家(門が雰囲気ある。周りも)

橋本家長屋門(清末陣屋旧裏門)など。
あとは新しい家々が立ち並び、道も広く、余所者の目には陣屋町だったようには見えません。「小藩大名の家臣団と陣屋町 2 」(2011年)では馬場跡となっていたところは医院と大東建託が建っていました。
各家の庭の至る所に夏みかんの実がなっていました。夏みかんといえば萩藩。そういうところは昔武家屋敷だったのでしょうか。
歩いていると、通り過ぎる野球部の中学生、小学生、夫婦連れで新生児を連れた大人(妻)も「こんにちは」「じゃまをしてごめんなさい」(自転車の小学生)と声を掛けてくれます。良いところです。
内藤家の門は下関市の指定文化財だったから案内板がありましたが、橋本家長屋門は近くに案内看板があったものの何の解説もない。観光目的で行く人がほとんどいないからでしょう。これに比べれば吉田は東行記念館があるせいで、観光地になっていました。小月駅の反対側になります。


宿場町吉田は奇兵隊本陣があったところ。また高杉の墓があり、彼の菩提をとむらうため明治17年に建てられた『東行庵』があります。そのあたり一帯を記念館として下関市が整備したのが東行記念館。小月駅からバスがあるのですが、便数が少ないので利用しづらい。

集落の近くで勘定場という看板があったから、ここが陣屋跡かと思ったら違いました。萩本藩の役所、これはこれでなかなかの遺構と思いますが観光客などはいません。
東行記念館はバスも駐められるような専用駐車場があり、記念館前に銅像があります。受付の女性はみかん色のマニキュアをしていました。入場料300円。
客は私以外にはおじさんが一人。展示物は奇兵隊との絡みが多く、全体的に司馬さん路線を感じます。ただ高杉を顕彰するのであれば『竜馬がゆく』には載っていませんが
「西郷と下関で会い、薩長連合について話し合った(元治元年12月)」
「長崎へ行き、そこから薩摩行き・英国との連携を試みた(慶応二年三月)」
なども載せてほしいと思います。知らないはずはないと思うのですが。


奇兵隊陣屋跡は東行庵から自転車で10分ほど。ガランとした田舎で田んぼの中、何もなくさびしいところでした。