町名 出石
キャッチフレーズ 重要伝統的建造物群保存地区(城下町)、出石皿そば、但馬の小京都
所在地 兵庫県豊岡市出石町
最寄駅 JR山陰本線の「豊岡」「江原」「八鹿」駅からバス30分。
訪問 2021年9月
江戸時代末期の大名は仙石氏、三万石、外様

兵庫県北部の山間の『古き良き』城下町。城は町の南側の山すそに位置し石垣を残します。その正面平地に観光バス駐車場・豊岡市出石支所・辰鼓楼・家老屋敷と主要なスポットが並びます。

このときは車で訪れたのですが、最初の印象はそば屋ばっかり。出石名物『皿そば』ですが、コロナでほとんど休業、つぶれたり空き家になっている家もありました。


先に三万石と紹介しましたが、元は五万八千石でした。天保期のお家騒動(仙石騒動)で三万石に削られてしまったのですが、町はそれなりに広いから回ろうと思ったら自転車が必要です。

町は明治九年の大火でほとんど焼け、現在の建物はその後に建てられたものだそうです。

出石に現在残っている主な武家屋敷は三つあります。「家老屋敷」「加藤弘之生家」「足軽長屋資料館」

家老屋敷は隠し二階と屋根に出られる構造が印象深い。お家騒動を経たからでしょうか。

仙石騒動は、経済苦境に陥った藩経済を立て直すため、三家ある家老のうち仙石左京が重商主義的政策を、仙石造酒が倹約政策を掲げて対立し、これに世継ぎの問題も絡んで藩政が混乱し、最終的には幕府に処断され石高も減らされました。現代からみると前者が効率的に見えますが、文政・天保期ではそうでもなかったのでしょう。このすぐ後に有名な天保の改革が起こっていますが、これは後者寄りのものでした。

加藤弘之(東大総長)生家は、残念ながら母屋が草ぼうぼう。川を挟んで出石高校の赤い巨大な門が目を引きますが、これは戦前に建てられたものだそうです。

一番見たかった足軽長屋資料館は閉まっていました。残念。このかやぶき屋根は半端ないし、明治の大火以前の建物だそうです。二軒隣の人が管理人らしいのですが、平日だったし、ちょっと声かける勇気がありませんでした。
ただし、街を歩くとこれら以外にも「これは武家屋敷だろう」みたいな家が何軒かありました。

「宵田通り」「本町通り」もさすが風情があります。

古い建物で売りに出されているものも散見しました。



桂小五郎は元治元年の禁門の変のあと、出石の町人甚助・直蔵兄弟の助けを得て出石に隠れていました。こんな田舎で元々縁もゆかりもない人に保護されたのはラッキーだったかも。それにしても近くの寺で気分転換に碁を打っていたとか、意外に優雅だったようです。そのときはわからなかったのですが、観光地図をよく見ると町内何か所も匿った家があるようです。