町名 三日月
キャッチフレーズ 物見櫓は、三日月藩の乃井野陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構で、現存する陣屋の物見櫓としては、全国的にも希少で大変貴重な建築遺構であると評価されています。(佐用町HPから引用)
所在地 兵庫県佐用町乃井野
最寄駅 JR姫新線三日月駅
訪問 2018年3月
江戸時代末期の大名は森氏、一万五千石、外様
観光案内所 無

以前に平福(佐用町の宿場町)を訪問した際、『三日月町史』という本を目にし、陣屋があったことを知りました。ネットで調べたら兵庫県の山間部で、昔の建物が復元されているらしい。ですが聞いたこともないし観光客などいないでしょう。そんなところへワクワクしながら行ってきました。


三日月駅は姫新線の無人駅、降りたのは私だけ。道路を渡ると正面に役場。昔は三日月町だったが今は合併して佐用町になり三日月支所となったようです。役場前に延びる商店街は昭和に栄えた感じの店が多く看板は色あせ、ほとんど閉店していました。人の出入りがあるのは郵便局と万屋くらい。しばらく行くと川があり、こぎれいな橋の向こうが武家屋敷ゾーンのはず。下図の真ん中の橋がそれです。

しかし目に映るのは、山に囲まれた土地に広がる田畑+田をつぶしての今風の住宅がぽつぽつ、でいかにも中山間地域。

城下町って何? という感じ。田舎の城下町という意味では九州の秋月と同じで、武家屋敷は取り壊されて田や畑になったらしい。さすがの私もちょっと気落ちしました。
気を取り直すべく復元建物にまず行くこととしました。行く途中、ゆるい上り坂に大きな昔風の門(表門?)の復元工事をやっていました。


件の建物は、山裾の陣屋跡での物見櫓、これを「乃井野陣屋館」と銘打って観光化していました。建物は大きく立派で、堀も小規模ながら復元されている。

背後に山を背負った風景はなかなか迫力があり撮影には向いていると思いますが、櫓の後ろは何もないし観光客などは誰も居ない。立派な建物なのに番人も居ないのかと思っていたら建物の西端におじさんがいました。そちら側が入り口になるらしく、パンフや本が置いてありました。

とはいえ大きな建物を復活(このときは復元建物と思っていましたが、元々あった建物をきれいに直したものらしい)させ番人も張り付けるのに、入場もタダだし、土産物を売っているわけでもない。しかも物見櫓は二階からの展望がウリだろうに、スズメバチの巣があるからと上がれなかった。冬なのに!
先ほど失望した武家屋敷ゾーンですが、櫓に展示してある古地図に『武家屋敷群』とあったので、もしかしたら何か残っているかもしれない。1~2時間に1本しかない帰り電車を気にしつつ行ってみることとしました。

やや高い山裾に陣屋を構えたため、武家屋敷は郊外の団地のように傾斜地に段々の敷地になりました。小さな石で積まれた石垣とその前を流れる水路が昔を想起させます。また田の中に「野井戸注意」の看板が至る所に立っており、昔は人家の敷地だったことが窺えます。ただこれも事前知識があるからで、なかったらわからないでしょう。

地元の郷土史研究会が建てた高さ50センチほどの石碑が「表町」「中之町」「不動町」など昔の町名を表しています。こういう地道な努力が見えると歴オタは嬉しい。
そう思いながらそれらしいところを歩いていたら、坂道に四軒続きで古い土塀と建物が残っているのを発見しました。トタンをかけているから茅葺屋根とわかりにくいのですが、白い土塀は崩れ傾いており上の二軒は廃屋、下二軒も表札は出ているがだいぶ老朽化してました。しかしこれこそ本物の武家屋敷でしょう。あとで古地図を見ると、その場所に同じ苗字の家がある。おお、いま来てよかったあ! 間に合った。

 


ここ以外にも草ぼうぼうになってよく見えない建物で古そうなのが二・三ありましたが、すぐ隣に人家が建っているため近づけません(そのくらいはわきまえています)。こういうのを保存展示してほしいけど町がそこまで頑張るかな・・・平福の方が名が売れているし武蔵もいるし。