町名 五條
キャッチフレーズ 維新の魁・天誅組、重要伝統的建造物群保存地区(五條新町)
所在地 奈良県五條市
最寄駅 JR和歌山線五條駅、又は大和二見駅
訪問 2019年11月
観光施設 五條市民俗資料館(長屋門)、まちや館、まちなみ伝承館など

江戸時代末期は天領で陣屋がありました。
文久三(1863)年八月に起こった「天誅組の変」で有名です。


現在民俗資料館となっている代官所長屋門は天誅組以降、場所を変えて建て直したもので、五條駅からはちょっと距離があります。天誅組当時、代官所は今の五條市役所の場所にありました。


どうしてここが狙われたのか? 観光ガイドさんの「五条は八万石+吉野杉の売上税金があり裕福な代官所。その割には警備が手薄で攻めやすかった」に納得。天誅組の時は出入りの医者が内通しており、彼の手引きで宴会をしているときを狙って襲撃したから、ごくうまくいったそうです。


市役所からすぐ近くの櫻井寺は天誅組本陣となったところ。現在「本陣」と呼ばれる地名はここからきているそうで、参勤交代用の宿(本陣)があったわけではない。
寺は近代的な建物でしたが、軒下に昔の寺の柱が展示してあり、ところどころ三角錐の小さな槍傷が認められます。槍の名人土佐浪士那須信吾のものだろうとのことです。敷地内には討った代官らの首を洗った石手水鉢があります。
天誅組は、司馬さんには海音寺潮五郎との会談のなかで酷評されています。
とはいえ幕府に立ち向かった最初の蜂起であり、京都で前日に起こった8月18日の政変(クーデター)がなければ全然違ったものになっていたはず。当時有名だった吉村虎太郎・松本奎堂・藤本鉄石らが参加したことを考えても、もう少し意義あるものだったのでは。


記録をみると、吉村虎太郎は味方の弾で怪我したとか、やり方に素人ぽいところが散見されます。
ガイドさんは三首脳の郷里を訪れたことがあるそうです。吉村と松本は地元でも知名度が高く施設もできているが、藤本鉄石は(私も行きましたが)寂しいものです。

 


重伝建五條新町は古い大きな家が延々と続きます。裕福な土地といわれたのが頷けます。
松倉重政の話も出ました。彼こそ江戸初期に五條村と二見村の間に新町をつくった人。日本史では島原の乱の原因になったことで有名ですが、地元では英雄。松倉公園・松倉祭りというのがあるそうです。


吉野川も並行して走っています。昔は三十石船がここまで遡上し、新町通まで川に面していたそうです。だから家々は二階を一階とするそれ用のつくり。水くみや洗濯のため川へ通じる小路がたくさんあります。

 


五條は柿の産地。県では和歌山だが単独自治体としては五條市は生産量日本一だそうです。