必要な人と必要でない人。 人間関係を選択する場面に出くわしたら、何を基準にしますか?


私は自分を高めてくれる人か否かを一番の基準にしています。


それは お金や地位や名声ではありません。自分に都合のよいことだけを言ってくれる人を


何人集めてもなんの役にもたちません。


指摘されて 「なるほど!」と思う場合はその人は自分には必要な人と言えます。


また、自分には必要がないと思っても、愛する人の大切なひとは必要な人と言えます。


家族でも 同じ考え方をするわけではありません。


思わぬ誤解を生むケースもあります。


誤解を解くために必要な膨大な情報を提示しなければいけません。


その膨大な作業をしてまで、必要かどうか。 それが問題です。


1を言えば10をしってくれる相手ならば、膨大と思われる作業もかなり短期間で終了することが


できます。しかし、そうでないからこそ、「誤解」が生れる場合が多く、改善には強靭な精神と根気を


必要とします。


兄弟が対象となった場合は複雑です。


そして、理解できる能力があるかどうかがもちろん重要であるし、感情論になれば決裂です。


血がつながっていれば、いるほど 能力の低さを実感した時の失望は計り知れません。


しかしながら、自分がまちがっていると思わなくても、相手に不快な思いをさせれば


それはその行為については謝罪に値します。


でも、自分の信念やそれまでの行為を否定したりするものではありません。


相手に理解力がなければ、その後の行動はおのずと制限されてきます。


そのとき、あなたなら、どのような選択をしますか?


離れてゆくか、相手の意向にそった行動をとるように自分を変更するか?


ここまでの人と判断し、それなりのつきあいをするよう努めます。


イコール = 自分を高める関係ではなくなります。


私は自分を殺してまで、つきあうつもりはありません。


付き合えば、自分を高めるどころか、賤しめることになるのだから。




最近、私の周りには 自分のことは言わなくてもわかってくれる。 と思い込んでいる人が


多い。ずいぶん前に話した内容に なんの前振りもなく、「あの件だけど これはこうだから・・・」的な


話をされることが多々ある。


そんな話もあったなー などと回顧しているうちに 話が「わかってるでしょ!」という前提で展開して


ゆく。


そんなにあなたのことばかりを気にかけている訳ではありませんから  残念!!! と叫びたくなる。


波田陽区かっ つーの


話はちゃんと順序だてて 話しましょう・・・



母は70歳を超えた。友人の母も同年代だ。


なぜ、彼女たちは人の言うことを聞こうとしないのか?


なぜ、自分の行動や発言に疑問を持たなくなったのか?


その自信はどこから来るのか?


友人と会うと 必ず 母親の話題になる。


頑固になった。 だらしなくなった。などなど


私の母は自信が漲っている。 昔から自分がまちがったということを認めたことがない。


謝っている姿をみたことがない。


いつも自分が正しいと思っている。


幸せな女だ。


私はいつも その自信に漲った発言があまりに愚かで、悲しく、嘆かわしく、こんなにも


がんばらなくてはならなかった人生に同情する。


父に やすらぎがあったのだろうかと、ふと疑問を感じる。


誰も彼女に苦言を呈さない。 だから彼女はまた、偉くなる!