三日目の観光

 

 

↑ リードパークリゾート八丈島 敷地の手入れ 芝刈り機 ↓



 

草刈機

「雑草を手早く刈る」ことに特化した機械です。一般的に背負って使うものが多く、エンジン部分を背負って使用します。

 

そして刃になっている部分を地面に向けて、雑草の根本部分へあてて刈っていきます。硬いものから柔らかい雑草ものまで、様々な雑草に対応する必要があり、使うシーンも平地とは限らず、汎用性が求められます。

 

なかには、刈った草をデッキ部分で細かく粉砕できるようにし、なるべく集めなくて済むように設計されたものもあります。

 

 

八丈島一周道路215号線、八丈中央道路216号線交差点を215号線に沿って進みます。

 

 

アポロステーション(出光石油)
八丈島のガソリンスタンドはエネオス(4カ所内セルフが1カ所)アポロ(3カ所全てスタッフ)です。


 

八丈島唯一のコインランドリー島の駅店
2018年8月3日、旧ドコモショップの場所に島内で話題になっていたコインランドリーが本日オープンしました。


 

営業時間は朝7時~夜9時です。
駐車場は5台くらいは駐車できそうです。


 

コインランドリー
備え付けの洗濯機を用いて利用者が自分で洗濯する形式の店舗。洗濯機のほか衣類乾燥機や洗剤の自動販売機などが併設されていることが多く、コインを投入して代金を支払って利用する。


 

↑ リードパークリゾート八丈島ホテル内のコインランドリー ↓

 

業態は自動販売機による無人店舗と同様であるが、その設置場所は洗濯という提供されるサービスの性質上、給排水設備や、また乾燥機用に都市ガス、プロパンガスや、灯油ボイラーなどの熱源が必要となる。


 

そのため都市部などではこれら給排水設備や熱源の確保が容易な銭湯に併設されたり、コインランドリーにコインシャワーが併設されていることがある。

日本では、1953年に三洋電機から普及価格帯の噴流式電気洗濯機が発売され、コインランドリーの前身ともいえる「貸洗濯機場(文化洗濯場)」と呼ばれる共同電気洗濯機場が登場した。

 


 

1966年には東芝から脱水も電動で行える二層式洗濯機が発売され、1960年代以降から次第に一般家庭に広く普及していった。

後に、洗った後の洗濯物を乾かす乾燥機も発売され、さらに1台で洗濯から乾燥まで行う洗濯乾燥機も発売されたが、いずれも洗濯機と同等かそれ以上の価格帯で、必需品としての性格も薄く、洗濯機と同列での普及は進んでいない。


 

コインランドリーの大きなセールスポイントの1つは、その乾燥機を一回数百円単位の金額で利用できることである。


 

特に雨季や梅雨などの気候的な問題から洗濯が難しい季節がある地域でも、数十分程度で洗濯物を乾かせる乾燥機の利用価値は大きく、特に家庭の事情から乾燥機が購入・設置できない場合に、これらコインランドリーの乾燥機が重宝される。


 

 

警視庁八丈警察署
警視庁第一方面に属する。署員数、約40名。

管轄区域
八丈島警察署は伊豆諸島のうち八丈島、青ヶ島、八丈小島、鳥島、ベヨネーズ列岩、須美寿(すみす)島、鳥島、)岩孀婦(そうふ)岩を管轄しています。

八丈島は東京の南方287キロメートルに位置し、北西に伊豆諸島で最も高い八丈富士(標高854.3メートル)、南東に三原山(標高700.9メートル)から成り立っています。

周囲は約59キロメートル、面積は約70平方キロメートルで東京都町田市や山手線内とほぼ同面積になります。



 

また八丈島の南方約70キロメートルの位置に青ヶ島があります。周囲約9キロメートル、面積約6平方キロメートル、中央にある丸山は世界的に珍しい二重カルデラの活火山で、日本一人口が少ない村です。

管轄とは、広義には、国または地方公共団体の機関が、その取扱う事務につき地域的、内容的、人的に限界付けられている範囲をいう。なお、管轄の範囲内を「管内」という。

ベヨネース列岩は、伊豆諸島の岩礁群。東京都に属し、ベヨネース岩礁、ハロースとも呼ばれている。

2016年時点で、所属市町村未定のため本籍を置くことはできず、東京都の直轄であり、都の出先機関である東京都八丈支庁が所管している。



 

↑ 八丈警察署の管轄区域 ↓

 

岩(島)の改称
2012年3月15日の東京都議会予算特別委員会の質疑において、吉田康一郎議員(中野区)が、ベヨネース列岩の個々の岩(島)に命名をするとともに、「ベヨネース」という洋名についても、日本語由来の名称を付けるべきと提案した。

この折、吉田都議は、列岩の総称に「波浪巣島」「波浪巣岩」、3個の大きな烏帽子形の岩に「北烏帽子岩」「中烏帽子岩」「南烏帽子岩」、小さな岩礁に国に倣って「東小岩」「西上小岩」等の名称を提案しつつ、都民に広く名称案を募り、知事を長とする選考委員会で選定することを求めた。



 

これに対し、当時の石原慎太郎東京都知事は「大賛成でありまして、責任を持ってやりたいと思います。」と答弁した。しかし、現在に至るまで正式な改名はなされていない。