八丈みやげ店民芸あき本店
古民家を改良した雰囲気ある土産物店です。



 

靴を脱いであがり畳の上でじっくりと豊富な土産を見られるお店は中々ないのではないでしょうか。



 

島名物の島唐醤油や明日葉を使ったクッキー、おまんじゅう、島の伝統民芸である黄八丈織りの財布や小物入れ、島焼酎、パッションフルーツ等バラエティ豊かな品を取り揃えています。



 

八丈島でおもいっきり楽しんだ後は、民芸あきでじっくりとお土産品を選ぶというのも種類豊富でたくさんあるので楽しめると思います。


 

島のお土産を買うときはぜひ一度民芸あきに訪れてみてはいかがでしょうか。


 

ゴクラクチョウカ
園芸では学名のカタカナ表記そのままストレリチアやストレチアということも多い。漢字では極楽鳥花と表記する。



 

特徴
南アフリカを中心に5種程度が分布する。花は鳥の頭のような形をしているものがある。また、葉が美しく観葉植物として栽培される。バード(オブ)パラダイス、とも言う。

 

 

学名の「ストレリチア」は、植物愛好家であったジョージ3世の王妃シャーロットの旧姓に由来している。


 

彼岸花
別名は曼珠沙華(マンジュシャゲ)、学名からリコリス・ラジアータとも呼ばれる。
原産地は中国大陸であり、日本においては帰化植物に分類される。分布は日本全国である。



 

秋の彼岸(9月)の頃に、花茎の先に強く反り返った鮮やかな赤い花を咲かせ、秋の終わりに葉が伸びて翌年の初夏に枯れるという、多年草としては珍しい性質を持っている。

地下の鱗茎(球根)に強い毒性を有する有毒植物であるが、かつて救荒作物として鱗茎のデンプンを毒抜きして食べられていた。



名前
彼岸花、曼珠沙華
彼岸花の名は秋の彼岸頃、突然に花茎を伸ばして鮮やかな紅色の花が開花する事に由来する。

 

別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)は歌にも歌われた事でも知られ、梵語(サンスクリット語)で「赤い花」「葉に先立って赤花を咲かせる」という意味から名付けられたと言われている。




食用は一般的には危険だが、毒を抜いて非常食とする場合もあることから、悲願の花という解釈も見られる。

日本では各地方のみで通じた異名が派生し、別名・地方名・方言は数百から1000種以上あると言われている。


葬式花(そうしきばな)、墓花(はかばな)、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、火事花(かじばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨て子花(すてごばな)、灯籠花(とうろうばな)、天蓋花などがその例で、不吉な別名が多く見られる。


 

それに加え、開花時に葉が無く花と葉を同時に見られないため、葉見ず花見ず(はみずはなみず)の別称も有する。


 

入口を入ると「くさや」がお出迎え

くさやは、伊豆諸島の特産品として知られている魚類の干物の一種。クサヤモロなどの新鮮な魚を「くさや液」と呼ばれる独特の匂いや風味をもつ発酵液に浸潤した後で乾燥させた食品である。



 

くさやが発酵食品と呼べるのは塩水の代わりに独特の発酵液(くさや液、くさや汁)を用いる点にある。

新島における方言で魚全般を指して「ヨ」と言われており「臭い」+「魚」=「クサヨ」が転じて「クサヤ」になったと言われている。

また、新島ではくさやを製造している水産加工業者を指して「イサバヤ」と呼んでいる。

 

歴史
当初は単純な塩水に浸けた魚を干したものであったらしい。
塩水を使いまわしながら干物を作っていたところ、それに魚の成分などが蓄積し、さらに微生物などが作用することで現在のくさや液のもととなるものができたとされる。

江戸時代に天領だった伊豆諸島では塩が貴重品で塩年貢が課せられていた。釣った魚を江戸まで運ぶには塩漬けにして干物にするのがよいが、貴重な塩を大量に使うわけにはいかない。



 

↑ くさやの製法説明 ↓

 

そこで島民たちは試行錯誤の末、塩水に浸しておいて干す方法を思いついた。浸すたびに塩水を取り替えたいが、塩は貴重なので、やむなく減った分だけ塩を足しながら塩水を使いまわした。これが島で貴重な保存食品として定着したという。

くさやの誕生に関しては、ミサゴが捕った魚の残りを岩陰に隠しており、これに海水がかかって自然発酵したものを漁師が見つけ食べたのが発祥とする文献も残っている。

 


 

正確な発祥地は不明だが、伊豆諸島では新島を元祖とする説が有力であり、八丈島のくさや製造業者団体である八丈島水産加工業協同組合は「八丈島のくさや製造は新島からくさや液を分けてもらって始められた」としている。


 

伊豆大島からは幕府に塩干品が献上されたが、その塩干魚は一回漬の塩水を使ったものが献上されていた。くさやは自家用や島内供給用として食されていたが、一部は江戸に運ばれていたという。

くさやという言葉は江戸時代の江戸の魚河岸の間で「くさいからクサヤ」という名前がついたという説があるものの、いつの頃から呼ばれるようになったかは不詳である。



 

臭い
全体として銀杏のような不快臭が感じられる。

 

 

1977年にくさやの身を水蒸気蒸留してガスクロマトグラムで分析した例では、臭気成分の内、多量に検出されたものは、酸性成分ではn-酪酸(死臭や銀杏の臭気に含まれる不快臭を持つ)で、次いでプロピオン酸(短鎖脂肪酸の一種)であった。


 

塩基性成分ではトリメチルアミン(魚臭、アンモニア臭を持つ)とアンモニアであった。窒素ガスでカルボニル成分を分離して分析した成分ではプロピオンアルデヒド(甘酸っぱさの中に焦げたような臭気)が強大であった。