八丈小島

 

さわやかな風が吹く八丈富士ふれあい牧場で、のんびりした牛たちや雄大な景色を眺めながら味わうスイーツ。心もおなかも満たされてリフレッシュできそう。


 

↑ ふれあい牧場のジェラートカップアイス ↓

 

ふれあい牧場牧舎内1階の販売コーナーにて、八丈島産の牛乳たっぷりで作られた「八丈島乳業」のジェラート各種とジャージープリンを期間限定販売しています。

 

 

↑ ジェラート各種とジャージープリン ↓

 

 

 

↑ ふれあい牧場の飼育員さんに見送られて ↓

 

 

ふれあい牧場を出て、八丈富士(西山) の山腹を一周する鉢巻き道路から八丈小島を望みます。

 

 

↑ ふれあい牧場の有刺鉄線越しに八丈小島を ↓

 

 

八丈小島は、行政上は東京都八丈町に属する。

 

集団離島
かつては有人島であったが、生活の困窮を理由とした集団離島が行われ、現在は無人島である。

 

現在は住民の集団離島のモデルとして小学校等の教科書で紹介されることがある。また、ダイビングや釣りの名所として好事家の間で知られている。


 

八丈小島代表は島民たちの声を取りまとめ1966年(昭和41年)3月、八丈町議会に全員離島請願書を提出した。

 

 

↑ 八丈小島の左右端 ↓

 


 

島民たちの請願内容を要約すると、
電気、水道、医療の施設がない。
生活水準格差の増大。
過疎の傾向が甚大である。
子弟の教育の隘路(あいろ/1 狭くて通行の困難な道。 2 物事を進める上で妨げとなるものや条件。支障。難点。ネック)。
このようなものであった。


 

東京都が示した集団離島条件
3.3m2(1坪)あたり93円で、島民の所有地(全面積140万m2)を買い上げる。
買い上げ金が50万円に満たない場合は、生活つなぎ資金を支給し、総額で50万円を下回らないようにする。

 

ひとり10万円の生活資金と、一世帯あたり50万円の生業資金を融資する。
都知事からひとり5千円、1戸3万円の見舞金を支給する。

また、八丈町からは
都の生業資金の利息の3分の2を、町が肩代わり負担する。第二種都営住宅に優先入居させる。というものであった。

 

↑ 八丈島空港前を経て南原千畳岩海岸へ ↓

こうして八丈小島からの全員離島が正式に決定された。これは日本全国初事例となる全員離島であった。



 

1969年(昭和44年)3月31日、24世帯91人は、先祖の遺骨を抱いて島を離れ八丈小島は無人島になった。

南原千畳岩海岸と八丈小島 ↓


南原千畳岩海岸へ ↓