木ノ子御飯
きのこの炊き込みご飯の黄金比
家にある調味料を混ぜて炊飯器で炊くだけ
きのこの炊き込みご飯を手作りする時は、お米1合に対し「醤油:みりん:酒=1:1:1+顆粒だし:小さじ1」の割合が黄金比率で失敗なしの作り方であり、簡単にきのこご飯を作る人気レシピになります。


 

米    3合    2合    1合
醤油    大さじ3    大さじ2    大さじ1

みりん    大さじ3    大さじ2    大さじ1

酒    大さじ3    大さじ2    大さじ1

顆粒だし 小さじ3    小さじ2    小さじ1 
    
水    3合分    2合分    1合分


 

お米3合⇒炊き込みご飯に合うキノコの分量と具材の黄金比率は?
きのこの炊き込みご飯は3~4人分の分量のお米3合で作るのが、手作りで美味しい味だと言えます。

きのこの炊き込みご飯    3合分
しめじ    30g
舞茸    30g
エリンギ    30g
椎茸    1個
ゴボウ    1/4本
人参    1/2本
油揚げ    1枚


 

↑ 味噌汁 ↓

 

 

天ぷら
明日葉は、別名「八丈草」とも言われ、独特の苦みを持つセリ科の多年草です。


今日新芽を摘んでも、翌日にはまた新しい芽が出てくるといわれるほど生命力が強いことがその名の由来とされています。


 

秦の始皇帝がその昔、「東方の海中に不老長寿の薬草あり」と使者を送ったとされる言い伝えがありますが、その「不老長寿の薬草=明日葉」だったと云われています。


 

伊豆諸島の特産野菜「明日葉」
島で食べられている調理法ランキング1位と言っても過言ではないほどの明日葉の天ぷら。


 

明日葉は葉だけではなく、茎が美味しい食材です。葉と茎を分けて揚げるのが美味しくいただくコツ。


 

明日葉塩
海水を煮詰めて作った天然塩と、太陽をたっぷり浴びて無農薬で育った明日葉の粉末をブレンド。色鮮やかに、そして風味豊かに料理を引き立てます。
 

 

蓮根
シャキシャキ食感の天ぷら。



 

食用に用いられるハスの地下茎。食用となる地下茎部分を指すことが多いが、花などを含めた食用のハス自体を指すこともある。

蓮根」ははすね、はすのねとも読み、蓮根とは別に藕根(ぐうこん)の呼称も存在する。


 

茄子
サクッと美味しい茄子の天ぷら

旅の愉しみのひとつが「食」である。地元の名産などに舌鼓をうてば忘れがたい思い出にもなる。

宿の夕食の定番といえば、天ぷらである。もちろん、揚げたてさくさくの天ぷらは美味しい。私は、最初に食べる様にしている。

嘗ては、忘年会など団体旅行の宴会場で食べ残される料理のワーストワンは「天ぷら」でした。



 

理由は、部屋食と同じ様に、一人用のお膳に多くの料理を乗せて配膳した。大量に作られる天ぷらは、時間経過や、直ぐに食べられないために冷めてふにゃふにゃになり不味くなったからであった。

近年は作られた料理が冷めない保温機材などが有り、嘗てとは違いがある。ビュッフェスタイルではその様子が一目瞭然である。



 

香の物
香(こう)の物

漬物を「香の物」と呼ぶのはなぜ? 鎌倉時代の「匂いかぎ分けゲーム」が由来

 


 

香りを嗅ぎ分ける遊びで漬物を食べていた。

日本では、鎌倉時代のころから文化人の間で、香木の香りを聞き分ける(嗅ぎ分ける)「聞ぶん香こう(「もんこう」とも)」という遊びが行われてきました。


 

その際に、漬物を食べて、臭覚をリフレッシュさせたといいます。そこから、漬物を「聞香で使う物」という意味で「香の物」というようになったといわれています。


 

↑ 御飯を完食 ↓

 

 

食後(デサート)
八丈ジャージー牛乳のパンナコッタ
八丈レモンソース



 

 

↑ お茶と食後(デサート) ↓

 

 

パンナコッタ
イタリア発祥の洋菓子の一種である。イタリア語で「煮詰めたクリーム」という意味である。

 

ゼラチンでとろみをつけ、型に入れて作るつるりとした口当たりの甘いクリームデザートである。

 

クリームはコーヒー、バニラ、または他の調味料で香り付けされていることもある。

 

 

日本でのブーム
日本では1992年にサントリーが業務用粉末「即席パンナコッタ」を、1993年に森永乳業がカップ入りの量産品を発売し、ブームになった。

喫茶店やファミリーレストランのメニューに追加されたほか、家庭でデザートやおやつとして手作りされる。

 



生クリームの割合が多いと高カロリーになる上、日本では生クリームは値段が高いために、家庭では牛乳やエバミルクを多く使用することもある。飲食店ではココットに入って出てくることが多い。



 

八丈レモン
戦前の1940年、菊池雄二さんがテニアン島より、レモンの苗を持って八丈島に帰国。
その後、八丈島の農家によって、原木から挿し木をして島内全体にレモン栽培が広がっていった。

カンキツ類を調査する国の研究員が小笠原諸島のレモンのルーツを調査して、その結果、レモンの名前は導入した菊池さんにちなんで「菊池レモン」と呼ぶことを提案し、レモンの名称が決定。


 

それから数年をかけ、八丈島の生産者らがレモン部会を立ち上げ、
さらに東京島しょ農林水産総合センターが樹上で完熟させる作型を研究して、新しい魅力を引き出した。

今日では、「完熟したレモンは皮もおいしい」と評判が広まり、菊池レモンのブランド化が図られ、一般公募により「八丈フルーツレモン」の愛称が名付けられ、流通するに至る。