福井駅

R北陸本線の福井駅は県内でも大きな駅の1つということもあって、コインロッカーが設置されています。



 

福井駅のコインロッカーは改札を出てすぐ右にあります。
両替機もあるため、小銭がない場合も安心です。


 

また、COCAやSuicaの交通系ICカードに対応しているコインロッカーもあるため、ますます小銭の心配がいりません。


 

駅のコインロッカーの料金はロッカーのサイズによって異なり、大きいサイズほど料金が高額になる。

また単位時間に対して料金が設定されており、1日単位でロッカーを貸し出すものが多いが、近年は6時間単位などより細かい時間に設定されている場合がある。



 

1日単位の場合は午前0時、それより短い設定がされているものは預けた時間から数えて設定時間を過ぎると延長料金が発生し、その場合は荷物の引き取りの時に延長料金をロッカーのコイン投入口に支払わなければならない。

なお、通常、連続使用には上限が設けられており一定の#使用期限が定められている。


 

最近では、携帯電話の番号を鍵代わりに使用し、荷物の受け渡しや郵便小包の受取りにも使用することが可能なコインロッカーも存在する。

また、電子マネーを用いて利用料金を決済し、その電子マネーを鍵としても使用するコインロッカーも実用化され、徐々に増加中である。


 

一部の鉄道駅では、その事業者が導入している電子マネー対応のIC乗車カード(JR東日本のSuicaなど)を利用できるコインロッカーがある。


 

福井駅西口バスターミナル
平成28年3月27日より、福井駅西口広場に、福井鉄道福武線の電車のりばと6つのバスのりばが開業しました。



 

公共交通機関の乗り継ぎが便利になり、屋根があるため雨や雪を気にせずに歩くことができます。

また、福井駅から約800mまでの区間のバス料金が100円になり、近くの移動時に利用しやすくなりました。


 

のりば1 主な行き先
郷土歴史博物館・丸岡城・県立大学

エルパ・県立病院・福井循環器病院

福井大学病院


 

のりば2 主な行き先
文化会館・丸岡城・エンゼルランド

福井大学・藤島高校

運転者教育センター

新田塚・福井総合クリニック


 

のりば3 主な行き先
文化会館・すかっとランド九頭竜

越前海岸(鮎川)・福井工業大学

福井高校・アピタ福井店・三国駅

福井総合病院・桜ヶ丘団地


 

のりば4 主な行き先
福井運動公園・みどり図書館・健康の森  

道守高校・越前海岸(水仙ランド)

清水プラント3・赤十字病院

越前町(朝日・織田)


 

のりば5 主な行き先
一乗谷朝倉氏遺跡・済生会病院・大野市

池田町・羽水高校・厚生病院

越前海岸(かれい崎)


 

↑ 福井駅ビル ↓

 

 

 

↑ バス乗り場 ↓

 

 

のりば6 主な行き先
コミュニティバスすまいる

【北ルート】田原・文京

【西ルート】照手・足羽

【南ルート】木田・板垣

【東ルート】城東・日之出

岡田啓介の像
岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日〈慶応4年旧暦1月21日-11952年〈昭和27年〉10月17日)日本の軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は正二位勲一等功三級。



 

生い立ち
1868年(慶応4年)、福井藩士(100石)岡田喜藤太と妻はるの長男として生まれる。

1884年(明治17年)9月、旧制福井中学(のち藤島高校)を卒業。翌年1月に上京し、一時上級学校進学のために須田学舎や共立学校(のち開成高校)などの受験予備校に在籍したが、学資の援助を受けていたことを心苦しく感じ、学費が掛からないところとして師範学校系か陸海軍系学校の受験を決意、陸軍士官学校受験に志望変更した。

受験に必須であったドイツ語を学ぶため、当時陸士の予備校であった陸軍有斐学校に入学したが、遠縁の海軍士官に勧められ海軍兵学校に入校した。


 

田中義一内閣で海軍大臣を務めたのち、斎藤内閣でも海軍長老として海軍大臣を再び拝命して五・一五事件後の騒然とした海軍省部内を収めた。その斎藤内閣が瓦解したあと大命降下を受けて内閣総理大臣に就任、岡田内閣では一時拓務大臣と逓信大臣を兼任している。

 

二・二六事件で反乱軍に襲撃されたが、義弟で秘書官を務めていた松尾伝蔵が身代わりとなり、奇跡的に難を逃れた。


 

総理退任後も重臣として度々枢機に与ったが、第二次世界大戦中は東条内閣打倒を自らの責務ととらえ倒閣運動を主導した。晩年に口述した『岡田啓介回顧録』はこの動乱の時代を知る上での貴重な史料となっている。


 

松尾伝蔵
松尾 伝蔵(まつお でんぞう、1872年9月18日(明治5年8月16日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。陸士6期。最終階級は陸軍歩兵大佐。位階および勲等は従四位・勲三等。

経歴
福井藩の槍術師範であった松尾新太郎の長男として福井県福井市に生まれた。

福井市旭小学校を経て、福井中学(現・福井県立藤島高等学校)を卒業し、明治28年(1895年)2月に陸軍士官学校(第6期)を卒業。同年5月に陸軍歩兵少尉に任官し金沢の歩兵第7連隊附となった。


 

明治30年(1897年)9月に台湾守備歩兵第3連隊付、さらに歩兵第35連隊付を経て、明治33年(1900年)3月から7月まで陸軍戸山学校で学んだ。

明治34年(1901年)1月に歩兵第35連隊中隊長に就任し日露戦争に出征した。歩兵第35連隊補充大隊中隊長、第9師団司令部付を歴任し、旅順攻囲戦、奉天会戦で戦功を挙げた。

明治40年(1907年)11月に陸軍歩兵少佐に進級し歩兵第7連隊付、同連隊大隊長、鯖江連隊区司令官、歩兵第36連隊附を歴任した。

大正3年(1914年)5月、陸軍歩兵中佐に進級する。大正5年(1916年)8月に都城連隊区司令官に移り、大正6年8月、陸軍歩兵大佐に進級。大正8年()3月に歩兵第59連隊長に補され、シベリア出兵に従軍した。

大正10年(1921年)7月に待命、同年11月に予備役に編入され、福井市に帰郷した(昭和7年(1932年)4月に退役)。大正11年()(1922年)9月に福井市議に就任している。

その他に、旭社会教育会長、在郷軍人会分会長などの公職を務めた。軍務を終えて地元に戻った松尾は面倒見が良い性格で、地域の人々から「松尾の伝さん」と親しまれていた。


 

二・二六事件での死
松尾の妻の稔穂(としお)は、岡田啓介の妹である。義兄である岡田が昭和9年()(1934年)7月に第31代内閣総理大臣に就任すると、松尾は、岡田の傍らで働きたい、と岡田に申し出た。

松尾は全ての公職を辞し、「内閣嘱託、内閣総理大臣秘書官事務取扱」の辞令を受け(無給)、首相官邸に住み込んで岡田の秘書を務めるようになった。

岡田は、松尾について下記のように回想している。
松尾はわたしの妹の婿で、なんというか、非常に親切な男だった。その親切には少しひとり決めのところがあって、私が静かにしていたいときでも、なにかと立ちまわって世話をやくというふうな性質だった。

 


 

福井県フレンドリーバス
福井県福井市郊外にある福井県立図書館とJR福井駅東口とを片道約15分で結ぶ、無料連絡バス。

福井県が運行しているが、実際の運行は京福バスの乗務員が行っている。



 

路線
こども歴史文化館先回りは毎時00分に、生活学習館先回りは毎時30分に、それぞれ福井駅東口から60分間隔で発車する。県立図書館からは30分間隔で発車する。
太文字以外の停留所では、図書館行きが乗車のみ可、福井駅東口行きが降車のみ可である。
こども歴史文化館先回り
福井駅東口⇒旭公民館前⇒高志中・高前⇒こども歴史文化館⇒福井市美術館⇒県立図書館

県立図書館⇒生活学習館⇒羽水高校前⇒木田町⇒木田公民館口⇒福井駅東口

生活学習館先回り
福井駅東口⇒木田公民館口⇒木田町⇒羽水高校前⇒生活学習館⇒県立図書館

県立図書館⇒福井市美術館⇒こども歴史文化館⇒高志中・高前⇒旭公民館前⇒福井駅東口