竹富東港
沖縄県八重山郡竹富町の竹富島にある地方港湾である。竹富港とも呼ばれる。港湾管理者は沖縄県。統計法に基づく港湾調査規則では乙種港湾に分類されている。


 

竹富島の北東側に位置する。石垣島の石垣港等との間に多数の旅客船(高速船)が就航しているほか、定期貨客船(フェリー)や地元の小型船もこの港を利用している。

島外との交通手段が実質的に船舶に限られる竹富島において、住民にとっては生活上必要不可欠な生活港湾である。

また、赤瓦の集落が重要伝統的建造物群保存地区に選定され、多くの観光客が訪れる竹富島にとって、観光客の玄関口としても重要な港湾である。


 

てぇどぅんかりゆし館
竹富港(東港)の船客待合所で、2003年に完成。

「てぇどぅん」とは竹富島のこと、「かりゆし」とは旅人の航海の安全を祈るという意味があり名付けられた。



 

施設内にはゆがふ館と同じNPO法人“たきどぅん”が運営する総合案内所があり、来島者に対して交通、宿泊、飲食、マナーやルールなど、島での過ごし方のアドバイスをしている。

 

また、島内での水牛観光やグラスボードのチケット、石垣島への乗船券などの販売もしている。


昔ながらの町並みが残る島
竹富島赤瓦屋根の家々、サンゴの石垣、白砂の道、屋根の上のシーサー、原色の花々が咲き、美しい沖縄の原風景に触れることができる島。島をゆっくりと巡れば、生活の中に生きづく伝統と文化を実感する。

 

平坦な島をのんびりと歩くのもいいし、サイクリングで島中をまわるのもいい。また水牛車にゆられながら、集落をまわるのもこの島ならでは。


水牛車から聴こえてくる全国的にも有名な「安里屋ユンタ」は、この島で歌い継がれてきたユンタが元歌になっている。

 

 

そして島最大の行事「種子取祭」は、豊かな芸能を大切にする竹富島の人々の誇りと気概に溢れている。


2007年、竹富島の生活用具(喜宝院蒐集館)が、国指定重要有形民俗文化財に指定された。

 

 

定期バス観光
港→カイジ浜→コンドイビーチ→集落散策→港の順で運行


 

↑ 乗船券と観光バス代がセットになっている ↓

 

 

(有)竹富島交通
バス観光・定期巡回バス
ドライバーが島の説明をしながらご案内



 

↑ 乗客は私達二人だけである ↓





 

↑ 健康モデル指定地区記念碑  伝統的な赤瓦屋根の家々 ↓

 

 

竹富島の集落には沖縄独特の赤瓦の伝統的な民家が並び、石垣で囲われた古民家の屋根にはシーサー、庭にはハイビスカスやブーゲンビリアの花が咲いています。

 

 

 

レンタルサイクル竹ちゃん
竹富公民館の2019年春季島勢調査によると、島内の車両は、普通自動車35台、軽自動車150台、自転車192台、バイク32台、貸し自転車1,139台、送迎車38台、観光バス22台、タクシー3台。起伏が少ないことから、貸し自転車の需要が高く、その台数は2018年秋から1,000台を超えている。


 

竹冨島の墓地
長方形の石を積み重ねた「和墓」という従来のお墓の形とは異なり、沖縄のお墓は、まるで小さな家のような印象を与えます。しっかりとした石の扉や屋根に囲まれた特長的で大きなお墓は、遺骨を収納する部分も広く、焼香台も置かれています。

沖縄の人々にとって、お墓はただ故人を埋葬するだけの場所ではなく、より故人を身近に感じ、供養するための場所なのです。

もっとも代表的な亀甲墓や破風墓と呼ばれるお墓を造ることは、王族や士族にしか許されておらず、一般庶民は森や洞窟の中に遺体を安置・埋葬する「風葬」が一般的でした。

廃藩置県が行われた明治時代に、やっと一般の人々がお墓を造ることが許されたのです。そのことから、沖縄は日本の中でも火葬の歴史が浅く、独特の風習が残ったと言えるでしょう。

沖縄には住宅地の中に突如大きなお墓がどどーんと現れることがよくあります。それは、法律が適用される以前、または周知が徹底されていない為に法律を知らずに建てられた門中墓や個人で所有するお墓が多いからなのです。

 

中には自宅の隣にご先祖様のお墓を・・・というご家庭もあるようで驚くこともありますが…これも他県とは違う歴史的・文化的な流れを汲んだものなのです。

また、古来より沖縄では「風葬」の文化がありました。土葬や火葬とは違う埋葬方法です。「遺体を雨風にさらして自然に消滅させる葬礼の仕方」です。

 

自然回帰の思想が根底にあり、離島で多く行われていました。そもそも火葬設備が整っておらず、埋葬のための土地がないということも理由のひとつのようですが、明治時代に行政から禁止されるまでは「風葬」が一般的でした。