洲崎灯台
千葉県館山市の洲崎に立つ灯台である。南房総国定公園内に位置する。国の登録有形文化財に登録されている。



 

房総半島南部で最も西の場所にある灯台である。住所は千葉県館山市洲崎1043番地。円筒形のコンクリート造で建てられ、塔頂は地上から約15メートル、灯火は海面から約45メートルにある。1919年(大正8年)に点灯した。


 

洲埼灯台は、三浦半島最南端の東端にある剱埼灯台と共に東京湾へ出入りする船舶の目印となっており、同灯台とを結んだ線をもって東京湾の境界をなす。なお、房総半島の最南端にあるのは野島埼灯台で、三浦半島の南端の西端には城ヶ島灯台がある。


 

歴史
1919年(大正8年)5月23日 - 洲崎に灯台を起工。
12月15日 - 点灯を開始。

1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により外壁が剥がれ、本体にひびが入った。

1945年(昭和20年) - 太平洋戦争時の空襲に遭い、光を放つ内部のレンズなどが損壊。

2015年(平成27年)
3月26日 - コンクリート造灯台の初期遺構として国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

6月6日 - 灯台横に設置された文化財登録プレートの除幕式が行われた。

2019年(令和元年)6月13日 - 点灯100周年を迎え、記念に館山市中央公民館にてふるさと講座を実施。




見物海岸
JR高速バス
館山駅からの路線バスでの運行を基本とするが、一部の便は東京駅からの高速バス「房総なのはな号」と直通運転となっている。



 

房総なのはな号
東京都と千葉県館山市・南房総市を結ぶ昼行高速バス路線である。

現在は「房総なのはな号」「新宿なのはな号」ともに全席指定制のため、あらかじめ乗車券を購入しなければならない(統合前の「新宿君津号」の上り便は自由乗車制であった)。


 

「房総なのはな号」は、東京駅と館山駅・安房白浜を首都高速・東京湾アクアライン・館山自動車道・富津館山道路経由で結んでいる。

JRバス関東では支店ごとの独立採算性を重視しており、館山支店においても東京発の高速バス路線の一部を担当していたため、営業便による東京支店までの乗務員送り込みという目的で開設された路線である。



 

1997年(平成9年)からの会員制バスの「サーフロード号」などとしての試験運行を経て、2000年(平成12年)6月3日より定期路線化された。翌2001年(平成13年)7月10日からは運行に日東交通が加わった。

JRバス関東の親会社である東日本旅客鉄道(JR東日本)が内房線で運行する特急「さざなみ」と比較して割安な運賃と、東京駅での乗り換えの便利さが好まれたことから、休日は軒並み満席状態となり、2台運行となる便も出るほどである。


 

このことだけが理由ではないが、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で「さざなみ」が君津駅 - 館山駅間の定期運行を取りやめることとなった。


 

途中ほとんどの便が海ほたるPAで休憩していたが、その後変更となり、下り便は休憩は無く、上り便は安房白浜始発便(館山まで一般路線バスとして走る便を除く)のみが君津PAで休憩をする。



 

その他の上り便は休憩は無し。また、一部の便は上総湊駅前と高速竹岡(現・国道竹岡)の両バス停を経由しないで通過する。その他の便は富津中央IC - 富津竹岡IC間で一般道を経由し、両バス停を通る。

 

 

 

見物海岸
房総半島南部は最低位の段丘を元禄段丘とし、4段の段丘が分布しています。これらの段丘面は館山市沼地区の地名をとって、上位から沼Ⅰ面、沼Ⅱ面、沼Ⅲ面、沼Ⅳ面(元禄段丘面)とよばれています。沼Ⅳ面(元禄段丘面)は当時の波食面が1703年の元禄地震で離水した面です。


 

 

房総半島では元禄関東地震と大正関東地震では地殻変動のパターンが異なることから、関東地震*には元禄型と大正型の地震があり、大正型が1つの断層が動くのに対して元禄型では1つ以上の断層が連動して動くものと理解されています。


↑ 写真15

 

沼Ⅰ面~沼Ⅲ面は沼Ⅳ面(元禄段丘)とほぼ同じ幅を持ち、分布形態も非常に似ていることから元禄型の関東地震に伴って隆起・離水したものと考えられています。

これらの段丘面の境界附近にはさらに2~3面の小段丘に区分できることから、これらの小段丘は大正型の関東地震で生じた段丘と考えられています。


 

写真15および写真17の最低位の段丘面は大正関東地震に伴って隆起・離水した平坦面であり、大正ベンチと呼ばれています。(写真15は白浜温泉 200万年前https://ameblo.jp/tabicom/entry-12729900228.htmlを参照)

 


 

↓写真17

 

以上のような海岸段丘の分布状況は、数千年来、元禄型の地震の間に2~3回の大正型の地震を挟むような地震発生パターンを繰り返してきたことを示しています。


 

資料3によれば、6,800年前(縄文海進時の最高位旧汀線の離水時期)以降の関東地震の平均再来間隔は380~400年とされ、また、元禄関東地震から大正関東地震までは220年であったことを考えると、現在は大正関東地震からまだ90年程度しか経過していないので、関東地震の再来までにはしばらくの間余裕があることになります。


 

*関東地震 ヒィリピン海プレートが日本列島へ沈み込むことによって発生する地震のうち、相模湾トラフ沿いで歴史的に繰り返して発生している地震を総称して関東地震と呼びます。


 

関東地震としては1923年の大正関東地震(マグニチュード7.9)やその1つ前の1703年の元禄関東地震(マグニチュード8.2)が知られていますが、一般に、関東地震といえば、関東大震災をもたらした大正関東地震をさす場合が多い。