日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日。
 
 
アメリカでは以下のアン・ジャービスへの教会での追悼にさかのぼり、5月の第2日曜日に祝い、日本もそれに倣っているが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。
 
例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。
 
アイルランドとイギリス
「マザリングサンデイ」は移動祝日で、キリスト教暦のレント(四旬節)期間の第4日曜日(復活祭の3週間前)に祝われる。
 
17世紀に始まったとされ、奉公中の子供が教会で母親と面会するなどの行事が行われる。
 
オーストラリア
母の日は5月の第2日曜日に祝われる。
母の日に贈りものを贈る習慣は1924年、シドニーに住むジャネット・ヘイデンによってはじめられた。

 
彼女はニューイントンの州立女性老人ホームを訪ねた際に多くの孤独で"忘れられた母"たちに出会い、その女性たちをよろこばせるために地元の学校や企業の協力をとりつけ、贈り物を贈ることにした。
 
それから毎年、彼女は贈り物の習慣の規模を少しずつ大きくして、地元企業や市長にも協力を取り付けた。以来、母の日の贈り物の習慣は商業化されていった。 
 
日本
1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた。
 
アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。
 
大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成された。その際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、普及しなかった。
 
1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された。
 
その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。
 
母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的である。
母親が健在の場合は赤いカーネーションを贈り、母親が鬼籍に入っている場合は白いカーネーションを贈ることが一般的である。
 
なお、あまり知られていないが、5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっている。
 
 
↑ 写真は「かわづカーネーション見本園」にて ↓
 
 
カーネーション
カーネーションが世界的に普及したのは母の日の成立が大きく関わっている。「母の日」に母親に贈呈する花として世界中で愛好されることになった。
 
ナデシコ科ナデシコ属の多年草。別名にオランダナデシコ、ジャコウナデシコ、オランダセキチクなど。
 
原産地と名前の由来
原産は南ヨーロッパおよび西アジアの地中海沿岸といわれている。
カーネションという名前の由来には諸説あり、肉の色の花という説や、戴冠式を意味する語のコロネーション(coronation)が訛ってカーネーションとなったとの説もある(corona:ギリシャ語で王冠の意味)。
 
 
 
 
 
歴史
地中海沿岸から西アジアの原産のため古くから、可憐な花容を愛された。とくにイスラム世界ではバラやチューリップと並んで、愛好された植物である。
 
イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため、モスクなどの装飾にはアラベスクという幾何学模様や草花の文様が使用された。
 
このアラベスクの意匠にカーネーションの花はしばしば使用されている。なおスペイン、モナコ公国、ホンジュラスの国花である。
 
 
 
 
 
 
 
↑ 自宅での食事会 ↓