ホアンキエム湖(湖還劍)
 
ホー・チ・ミンの遺書には、遺骸を火葬して北部、中部、南部に分骨して埋葬すること、戦争勝利後は農業合作社の税金を1年間免除することなどが記されていた。しかし、ベトナム労働党政治局はこの部分を削除して遺書を公開した。
 
 
 
 
ホー・チ・ミンは、個人崇拝につながる墓所や霊廟の建設を望んでいなかったが、その意向は無視されたのである。
 
政治局の決定により、遺骸はウラジーミル・レーニンにならって、永久保存(エンバーミング)され、南北統一後、ハノイ市のバディン広場に建設されたホー・チ・ミン廟に安置された。
 
 
 
 
 

死後20年に当たる1989年、ベトナム共産党(南北統一後の1976年12月、ベトナム労働党から改称)政治局は遺書の全文を公開、削除部分は死去当時実行できないため公表しなかったこと、全人民、特に生前に直接会うことが出来なかった南ベトナムの人民のために遺骸の保存を決定したこと、実際の命日(9月2日)が国慶節(独立記念日)と重なったために1日遅らせて発表したことを説明し、農業税の減免について政府に提議すると発表した。 
 
 
 
 
 
↑ ホーチミン廟を後にしてハノイの中心部へと向かう ↓
 
 
 
 
 
 
 
ホアンキエム湖
ベトナムのハノイ市ホアンキエム区にある湖の1つである。ハノイの主要な景観スポットでもある。
 
過去に紅河が何度も氾濫を繰り返した際にできた湖の一つである。かつては紅河とも繋がっており、緑水湖として知られていた。
 
その後湖は2つに分かれ、一つがホアンキエム湖となり、もう一つが 水軍湖となった。
水軍湖にはベトナム海軍の訓練場が置かれていたが、現在は埋め立てられている。
 
湖の北岸の近くにあるもう一つの島には、18世紀に建てられた玉山祠が建っている。
これは13世紀の元に対する戦いで活躍した陳興道、文昌帝、1864年に寺の修理を担当した儒者で作家の阮文超らを祭っている。
 
島と岸の間には、赤く塗装された木製のフク橋(Cầu Thê Húc, 棲旭橋)が架けられている。
 
 
伝説
黎朝の初代皇帝黎利が湖の宝剣を手にし、その剣によって明との戦いに勝利した。
 
その後、黎利は湖の上で金の大亀 から平和になったので持ち主である竜王に剣を返すように啓示され、湖の中心近くにある小島で剣を返した。
 
それゆえ、還劍(ホアン・キエム)と呼ばれるようになった。この物語は水上人形劇で観ることができる。
 
 
 
小島にはその後、亀の塔が建てられている。
湖の中のシャンハイハナスッポンおよびいくつかの種の大型の軟殻亀は、黎利(Lê Lợi)の名から "Rafetus leloii" と名づけられている。
 
 
 
その種は絶滅の危機にさらされており、湖の中の個体数は不明である。1968年には湖で体重250キログラムの大亀が発見され、伝説の亀とされて玉山祠に剥製が祭られている。
 
剥製の大きさは長さ210センチメートル、幅120センチメートル。
2014年4月には、体重約200キロの傷ついたシャンハイハナスッポンが治療を目的に捕獲された。
 
 
 
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