大富豪邸宅
この博物館はプラナカンの大富豪の邸宅を、そのまま博物館として公開している施設です。

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↑ ババニョニャ博物館の表示が

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華人(中国人)とマレー人の子孫が生み出した文化を展示したミュージアムです。16RM(1リンキッド=27.94円)と少々高いですが、展示物は一見の価値はあります。

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時間によってはガイドが付くので活用してみて下さい。館内は撮影禁止であるのと、2階へは土足禁止です。

一部を除き、内部の写真撮影が一切禁止というのが残念でした(2017‎年シンガポールのプラナカン博物館へ入館した時は撮影OKでした)。

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プラナカンとは
欧米列強による統治下にあった(現在のマレーシアを中心とする)東南アジアの各地域(ヌサンタラ)に、15世紀後半から数世紀にわたって移住してきたマレーシアに根付いた主に中華系移民の末裔を指す。

別の言葉として、中国人と他の民族との混血を指すババ・ニョニャ(インドネシア語: Peranakan, 普通話: 峇峇娘惹, 福建語: Bā-bā Niû-liá)がある。

ただし、マラッカ地方に限ってババ・ニョニャではなくニョニャ・ババと順序逆に自称する。なお、ニョニャは「女性」、ババは「男性」の場合である。

上述の通り、この民族グループは「海峡植民地時代のマレーシアやオランダ統治下のジャワ島といった地域に住んでいた中国を出自とする人々」を指すには違いないが、その中でも特に地域土着の風習に(程度の差こそあれ)適応し、地域コミュニティーへ同化していった集団として定義される。
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↑ ババニョニャ博物館入り口 ↓

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ババニョニャ博物館向い側 ↓

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「欧米列強に統治下にあったマレーシア周辺に移住した中華系移民」を括った上で、更にその中で「現地の風習を受け入れたグループ」が「プラナカン」と呼ばれる。

特にシンガポールにおいてはエリート層を形成しており、母国である中国よりも、むしろ宗主国である英国との結び付きを重視している。

ところで、プラナカンは大半が何世代にもわたってマラッカ海峡周辺に居を構えているにも関わらず、必ずしも現地の原住民グループ(マレー系)との混血は進んでいない。

一般的に交易を生業とする者が多く、英国人と中国人(あるいはマレー人と中国人)との間を取り持つ仲介者として活躍してきた。
そのため、2つ以上の多言語を使いこなすことが半ば当然のこととされている。

ただし、マレー半島の文化に適応した結果として、現在では中国語を捨ててマレー語を母語として(あるいはそれに類する程度に)話す世代も現れてきた。

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↑ ババニョニャ博物館内部  ↓

家具調度品も富豪のコレクションで目を見張ります(此処は撮影OK)。

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補修中の箇所も ↓

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プラナカンという言葉は現在、19世紀頃から「海峡華人(Straits Chinese または土生華人)」とも呼ばれるようになった中華系民族グループを指す用語として定着している。

それ以外にも「プラナカン」というカテゴリに含まれる民族グループが(中華系と比べれば)小規模ながら存在する。

例えば、インド系プラナカン(チッティー)、イスラム化したインド系プラナカン(ジャウィ・プカン‐「ジャウィ」はジャワ地方独自のアラビア文字で、「プカン」は口語におけるプラナカンの省略形)、ユーラシア系プラナカン(クリスタン‐キリスト教徒という意味)などである。

ちなみに、カンボジアに存在する中華系民族グループも福建人の末裔であり、プラナカンと数多くの共通点を持つ。

カンボジア系は移民して数世代のうちに母国語を話す能力を失ってしまったものの、現在でも部分的に中華系民族としての文化的特徴を残している。