福井から妻籠宿へ4日目・11(写真は全て2015年10月21日撮影)

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↑ 口留番所(くちどめばんしょ)
江戸時代、天領や諸藩などで自・他領を連絡する交通の要地に、旅人や荷物の出入りを検査するために設けられた見張り所。↓

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このなかには関所と私称したものもあるが、幕府法上にいう関所ではない。しかし、本州の中央部では一部、幕府の関所に格づけされたものもあった。

近世初頭、諸大名は他者との軍事・政治的緊張に備えて封境に口留番所を設けたが、これは領民の他領逃亡の防止や一揆鎮撫(いっきちんぶ)などにも重要な役割を果たした。

さらに、年代の下降とともに経済的機能に重点が置かれるようになり、商品の密移出入を監視する一方、移出入認可の商品から一定の口留運上(うんじょう)、役銀などを徴収した。

運上
運送上納の略。古くは年貢などの公物を京都へ運んで上納することを意味し,室町時代には課税の意であった。江戸時代には年貢以外の雑税の一種。
本来,冥加 (みょうが) と同じく自発的な献金の性質をもち,商工業など諸営業者に賦課され,年期を限り,額も年により増減する浮役 (うきやく) で,水車,市場,問屋,諸座,油絞,紙漉,塩浜,酒など多くの種類があり,すべて金納であった。

役銀
金沢藩が藩士に課した家禄税。

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↑光徳寺

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↑ 石仏寒山拾得像 ↓

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↑ 延命地蔵堂 ↓

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妻籠宿概要
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、妻籠宿の宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒で宿内人口は418人であった。

最寄り駅
JR中央本線 南木曽駅からおんたけ交通バス妻籠・蘭線、妻籠・馬籠線で以下のバス停下車。
妻籠 - 高札場付近
妻籠橋 - 枡形付近
尾又橋 - 馬籠側入口

史跡・みどころ
熊谷家住宅
口留番所跡
高札場
南木曽町博物館 脇本陣奥谷(おくや) 1877年の建築、それまで御禁制だった木曽桧を豊富に使った重厚な構造。代々脇本陣を務めた林家住宅を南木曽町が借り受けて公開。

重要文化財
歴史資料館 1995年開館、脇本陣奥谷の裏庭にある
妻籠宿本陣 1995年復元
郵便史料館(妻籠郵便局内)
枡形
下嵯峨屋
馬屋
上嵯峨屋