福井から妻籠宿へ4日目・6(写真は全て2015年10月21日撮影)

宿場とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取扱う為設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。

また、宿場を中心に形成された町を宿場町と呼ぶ。
中国では律令制の施行に伴い、国内に官道を張り巡らせて各地の連絡を図った。

これら官道の往来はもっぱら馬によるものであり、このために途中で馬に対する給餌や馬の乗り換えが必要となった。

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↑ 卯建(うだつ・建物の外側に張り出して設けた防火用の袖壁) ↓

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卯建 ↓

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↑ 延命地蔵堂 ↓

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↑ 桝形の跡 ↓

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↑ 妻籠宿の史蹟「枡形の跡」
宿場は、幕府により防塞施設として作られており、敵の侵入を阻むために道を直角に2度折れる道を作ることで、騎馬などが突進してくるのを防いだという。かつては、幕府によって防塞施設としての役割も担わされていたという宿場町。
その一端を垣間見ることができるいわゆる「枡形」を設けていた。
坂の下の下嵯峨屋は、当初、長屋であったものの1戸を昭和43年に解体復元したもの。妻籠宿における庶民の住居を代表する片土間に並列間取りの形式をとどめている(町文化財) ↓

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