私たちは、何を信じたらいいのか?
結論から言うと、「自分」を信じるしかないのだと思う。
言い方を変えると「自分が信頼する情報源から、自分なりに状況を把握し、考え行動することが出来る」時代になったと言える。
毎日発表される首相官邸の情報や、東電・保安員の会見に対して、私たちは既に不信感を抱いてしまっている。同時に、テレビの報道や新聞の情報、インターネットのニュース(情報源はテレビ・新聞からなので)も、未だに私たちが知りたい本当のことを知らせ、そして分析することをしていない。
だからこそ、私たちは「どの情報を信じたらいいのか?」と不安になる。
一方で、インターネットを使って、自分で知りたい事を探求してゆくと、マスメディアでは報じられていない多くの情報を得る事が出来る。原子力発電の仕組みや、計画停電の裏には隠したい事故(数回の爆発と同時に計画停電が発表されている)があること、日本以外の国では放射線量の測定方法や基準値がもっと厳しい事、新聞社のなかには原発から50km圏に入る事を禁じているのに、記事には「安全」としか書かないこと(そういう情報を平気で出せる記者しか、すでに新聞社には居ないこと)。
高度経済成長を通じて、私たちは安全で便利で清潔で安心できる社会を享受することに、何の疑いも持っていなかったと思う。私自身、テレビや新聞は常に正しくて信頼できる情報源を発信し、娯楽番組の間に発信されるニュースさえ見ていれば、安心だった。それが今回の震災で一変してしまった。
炉心溶融についても、これまで可能性を語ることすら不謹慎と言われていた。それが、結果として1号機は炉心溶融を起こしていた。ではこれまでとられていた、炉心溶融は起こしていないという前提でとられていた対策は、何だったのだろうか。
やはり、不謹慎と言われようが、不安を煽っていると言われようが、私は自分が正しいと感じたことを信じ、行動して行こうと思う。自分に責任を感じ、どんなことであっても他人を責めない。そういう生き方をして行きたい。