冷たい麦茶を飲み干し、額の汗もひいたところで重い腰を上げた。

 

 授与所に並んだお守りや縁起品を眺めつつ、洗練された拝殿へ向かうと中から祈禱の声が聴こえてくる。次の順番を待っているのは団体ツアー客のようだった。振袖を着た若い女性と老夫婦も並んでいる。その後ろにも次々と老若男女が続いていて、神聖なはずの境内へ入ってから感じるのはお金の気配ばかりで違和感を覚えた。

 私の感覚がおかしいのだろうか。

 

熊野本宮は八咫烏にあふれていた

 

 しかし、拝殿右側の門をくぐると雰囲気も一変した。しんと静まり返ったその空間は、歩くたびに砂利を踏む音が響く。

ジャリ、ジャリ…と、一音ずつしっかり脳に刻まれ、まるで何かに監視されているような気がしてならない。

普段は鈍感な私ですら瞬時に研ぎ澄まされたような感覚になるのだから、時の権力者らがこの目に見えぬチカラに夢中になったというのも頷ける。

 

おお、これぞネットやパンフレットで見続けてきた本宮である。今まで見てきた神社の中でもっともワイドな社殿

 

参拝には順序があるらしい

 

はじめに主祭神である家御子大神(別名スサノオノミコト・本地は仏阿弥陀如来)へ参る。正面左手が第一殿で、真ん中の第三殿にあたるこの建物は証誠殿。なんだか紛らわしい

 

次に中午前の速玉大神へ。別名イザナギノミコトで本地仏は薬師如来


さらに西午前の夫須美大神。もはや別名も本地仏もどうでも良くなってきた

 

今度は右側の若宮へ移動し天照大神を参る。さらにもうひとつ満山社というのがあったが、写真撮ることすら忘れていた

 

祈る人は皆神妙な表情。あたりまえか

 

スタンプBOXは授与所左側の端っこにひっそりと佇む

 

 あぶない。危うく大事なスタンプを忘れるところであった。

 どうもお金にならないツールは端っこに追いやられるようで、少々可哀そうに思える。某神社の宮司も「スタンプラリーなど始めたら御朱印が売れなくなる」とか細かいことを言っていたのを思い出した。

 

 禊を済ませ、本日最後の目的地である大斎原(おおゆのはら)へ向かう。もう足がボロボロだ。

 

逆の順路になるのは如何なものかと思いつつ参道を下る

 

 

 

 

 平安末期の熊野詣には「先達(せんだつ)」という道案内役、「御師(おし)」という宿の手配担当が存在し、「檀那(だんな)」と呼ばれる信徒を巡礼旅行として組織的にコーディネートしていた。更に、これらの権利は檀那売券(だんなばいけん)や願文(がんもん)として株のように売買され、熊野信仰の拡大に寄与していたらしい。

 世界で最初の旅行会社はイギリスのトーマス・クック・グループであるが、欧州においてもヴェネツィァ共和国で巡礼旅行の斡旋は行われていた。日本では熊野詣がそれにあたるのだろう。

 この日も平日にかかわらず参拝客にあふれており、あらためて世界遺産のブランド力を目の当たりにしたが、登録される前の熊野本宮がどんなものだったのか?むしろ、そっちの方が気になりつつ参道をあとにした。

 

 

 

 

 でわ!