熊野古道の旅から戻ってきてからも、関連した本を探し読み続けている。旅の余韻に浸りながら、旅行前に読んだ本をもう一度開くのも楽しいひとときである。

 ただ私の場合は、事前にチェックしておきながら、いつの間にか見過ごしてしまったことに気づいてガッカリすることが多い。今回も「発心門王子は結界石がみどころ」とか「神蔵山麓にある妙心寺は子孫がバイオリニスト」、「一遍上人の碑・南無阿弥陀仏の『弥』の字がユニーク」とかわざわざ下線まで引いておきながら、見事に忘れてしまっていた。まったく情けないし、その数も年々増えてるような気がする。

 

 しかし、見そこねたからと言って直ぐに熊野へ再訪するのも悔しいので、あらたな目的地を探そうと図書館へ行き、数冊を選りすぐってみた。

 

 補陀落渡海から、少し視野の広がった一冊。

 

 

 『補陀落 観音信仰への旅

 

 (著:川村湊、発行:作品社)

 

 『新潮』に連載されていたものに、書きおろしを加えた(著者曰く)「評論とも紀行ともエッセイとも学術論文ともつかない作品」で、私が広告会社を退職した2003年秋に発行された。20年前の書籍なので古さは全く感じないどころか、熊野から帰ったばかりの私にとっては新鮮な一冊だ。補陀落と観音様にまつわる話は時代や国境を越え、様々な文学・絵画など多くの作品を通じて様々な視点から考察されている。

 

 前半(第1章から3章)が紀行的な内容も含んだ話になっており、那智の浜と足摺岬から始まり、次の韓国は済州島(迎燈神)から束草市(洛山寺・浮石寺)へ、中国は福建省・湄州島(媽祖信仰)から浙江省・舟山群島(普陀山・洛迦山)、インドへと…まるで大乗仏教の軌跡を遡るような補陀落(ポータラカ)と観音信仰についての話が展開される。読んでいくうちに引き込まれてしまい、性懲りもなく行き先の情報をメモってしまった私だ。

 また、「唐渡りの僧と龍になった女」という新羅に伝わる義湘と善妙の話、大蛇に変身して恋焦がれる安珍を焼き殺してしまう清姫の道成寺縁起など、観音信仰には似たような男女の恋愛と憎悪にまつわる伝説も多い。

 

 後半(第4章から5章)では、近世から近代における同ジャンルを代表する文学作品を読み解きながら、中には痛烈な批判も綴られてたり大きく脱線したりしていて、本当に何を書きたいのか分からないところが素敵だ。最後に突然と、三好達治の言葉で締め括る無茶ぶりも天晴れである。

 

 特に印象的だと感じた段落を引用したい。

 

 普陀山、洛迦山まで来て、私は、補陀落渡海の振り出しの海辺に戻ってしまったのではないかと、ふとそう思った。二十数年近く前の、あの紀州の補陀落山寺の前の浜に佇んでいた私に。同じような波のうねり、同じような潮騒と、同じような孤独感に包まれながら、私は、やはり補陀落世界の、その門前に茫然と立っているばかりだ。私の補陀落渡海をめぐる旅は、いつしか、その振り出しに戻っていたのである。

 

 これは、筆者が補陀落の聖地をめぐっているさなかで感じた錯覚であるが、補陀落浄土を目指して出航した人が、この時の筆者のように(もしも)済州島や湄州島に流れ着いたとしたら、同じような失望感に襲われるのではないかということを指している。それだけ、補陀落の聖地はどこも似た風景・環境なのだ。良くわかる。

 補陀落は「生」と「死」が同等で一体となり、習合した宗教・世界観の中にあり、シン・エヴァではないが無限のループのようなものを私もずっと感じてきた。

 観音浄土を目指して渡海したはずが、何故だか沖縄に辿り着いて生き延びてしまった日秀上人の例もあり、この時の日秀の心境は如何なるものだったか。

 

 そのようにして考えると、補陀落の聖地とはどこも似たような景色ですぐに飽きてしまうのではないだろうか。きっとそうだろう。

 そんな所なら是非とも巡ってみて、やっぱり感を存分に味わってみたい。

 

 

 

 

 でわ!