熊野速玉大社の門前にある柿乃肴(かきのあて)という店で柿の葉寿司をつまみながら、店主のお姉さんに神倉神社まではどのくらいかかるのか尋ねてみたところ、ここからだと歩いても10分かからないという。駐車場の台数は少ないけど、連休前の平日だから車で行っても大丈夫だろうとのこと…なんかイメージと違うなあ。

 熊野の神々が降臨したという神蔵山は、古代より山岳修験の地として知られ、天狗伝説なども残るっていうんで、それはそれは険しく霧の立ち込める鞍馬山のような深山を想像していたのだが、ナビに従って進むと街中のごく普通な駐車場に到着。車だとわずか3分足らずで、これでは駅裏の上野墓地公園と変わらないのではないか。

 

神橋の手前で日向ぼっこするご老人に挨拶。この時はまだ穏やかな時間が流れていた

 

 地元経済団体が建てた案内板には「お燈祭り」と呼ばれる勇壮な火祭りについて書かれていた。そうそう、私はこの火祭りに惹かれてこの神社に来たのだ。

 国東半島に残るケベス祭や修正鬼会もそうだが、神仏習合の地に伝わる火の祭礼は何処も、憑依或いはトランス状態と化したシャーマンの異様な気に満ちあふれていてちょっとおっかない。参道で見守る女衆も皆、死と背中合わせのその危うさに狂喜し、千年以上も「火」の魔力に魅了され続けてきたはずで、文明に囲まれロゴスがパトスを上回った現代人ですら原始的信仰の前には無力。火祭りに参加すればされこそ老若男女を問わず本能が呼び起こさせられるということだろう。

 

2,000人もの男衆が暗闇のなか一気に石段を駆け降りる

 

高倉下命は神武天皇に神剣を奉り勝利へ導いたとされる

 

 神橋を渡りしばらく行くと、垂直に見上げるような急角度の石段が現れた。

 

えげつない角度に思わず笑ってしまった

 

 石段は「鎌倉積み」とか「鎌倉造り」と呼ばれるもので、源頼朝が寄進なさったそうな。ちなみに地元の新宮高校野球部はここを毎日三往復しているらしい。

 

写真だと伝わらないんじゃないかなー。ゆうに50度はあると思う

 

 時折、両手を使ってよじ登るような箇所もあり、下りのことを考えるとゾッとした。お燈祭り当日は、松明片手にした2千人もの集団がココを一斉に駆け降りるというのだから、ちょっとどころかかなり頭おかしい。というか全身の体幹と筋力が強くないと一歩も進めないと思うし、集中力も必要だろう。

 

 しばらく登ると「中の地蔵」と呼ばれる平らな広場があり、そこから頂上までは緩やかな坂道である。最初は驚いたが、トータルで考えると豊後高田市にある熊野摩崖仏の石段のほうが遥かにキツい。初め緩やかで、ゴールが近づくにつれてどんどん急になるからだ。

 そうこうしているうちに、神蔵山上・本殿へと向かう門へ出た。祭りの日はこの門の中に火をつけたまま2千人が下山の時が来るまでじっと待機しているとか。

 思いっきり狭い気がするけど…2千人って、かなり無理あるんじゃ?

 

門をくぐり正面を進むと本殿へと続く

 

山頂には「ゴトビキ岩」と呼ばれるご神体がある。

 

 「ビキ」というのはヒキガエルのことで、カエルが鎮座しているように見えるのでそう呼ばれるようになったらしい。SNSに投稿したら、大分のガイドさんから「安山岩か?」と尋ねられ、てっきり「安産」と勘違いしてしまった。カエル岩=男根のイメージが頭にあったためである。ちなみに後で調べたら、こちらは安山岩に近い流紋岩という石だそうだ。地層に詳しいと知見も広がって、観光地も普通とは違った見方が出来るんだと知った。

 また、高倉下命は夢のお告げで「布都御魂(ふつのみたま)」という宝剣を神武天皇に捧げたとのことだが、この辺りで鉄がとれたのは間違いないようで、熊野新宮には新宮鍛冶と呼ばれる集団がいて、元鍛冶町・新鍛冶町の地名にその名をとどめている。お燈祭りでも、まさかりを高倉下命に見立てた神官も登場するとのこと。

 

アメリカ人大学生二人はコロナ収束を待ち望んでいたらしい

 

 太平洋はうっすらと霞んでいたが、この場所は海上から自分の位置をはかる目印の「山立て」(ランドマークの意)になっていたという。

 頂上から眺める新宮の町は、四国遍路で見た高知や徳島の風景を思い出した。

 

ようやく2個目となるスタンプをGET

 

 

 お燈祭りは毎年2月6日に開催される。

 

 いつかは見てみたい、が…年度末やん(涙)

 

 

 

 

 でわ!