熊野古道に行きたいことと、現在行っている仕事が分岐点を迎えていると感じてきた二つの理由が重なり、この1ヶ月間「聖地巡礼」に関する研究と自分なりの考察を進めてきた。これが5冊目となるブログでの紹介だが、実際には20冊以上の書物を読み漁り、ためになったと感じた本だけを取りあげている。

 のちに大きく後悔することになるエヴァ新劇場版のワードを用いたタイトル。今回最後となるはずの「Q」だが、オリジナル映画の考え方とはまったく無縁だし、整合性も取れていないので「窮」にした。そこに深い意味はないが、内田樹&釈徹宗作品へループしている点だけ、せめて気づいていただきたい。

 

 

 『日本人にとって聖地とは何か』

 

(著:内田樹、釈徹宗、茂木健一郎、高島幸次、植島啓司、発行:東京書籍)

 

 内田・釈両先生の「聖地巡礼シリーズ」は、ビギニング、ライジング、リターンズ、コンティニュードと4作出され、特に完結されたわけでもなく、もしかすると続きがあるのかもしれない。本作は旅行記的な内容はなく、ゲスト3者を交えての公開講座を書籍化したものである。

 メディアでもお馴染みの脳科学者、落語と天神信仰が交差する歴史学者(?)、知り合いから推薦のあった宗教人類学者という強者が揃い、興味深い「聖地論」が繰り広げられていた。備忘録代わりに記したメモを見直しながら考察していきたいと思う。

 

 

 session 1 「日本人にとって聖地とは何か」(茂木健一郎先生)

 

 うーん、パス!理由はないけど(スミマセン)

 

 

 session 2 「大阪の霊的復興」(高島幸次先生)

 

・歴史教科書が与える誤解

 今も昔も歴史教科書というものは、時代・時系列順に書いているようでいてそうでない話。つまり平安時代だったら平安時代の政治経済の流れをザっと書いて、その後平安時代の初めに戻って平安文化について書くという。つまり政治経済が優先で、文化が後から追いかけいているような植えつけをしているという。法然が専修念仏を説くのも、栄西が宋で禅を学ぶのも、頼朝が幕府を開くよりもだいぶ前の話しなのに、鎌倉幕府のあとに鎌倉新仏教を教えられるから錯覚してしまうらしい。

 

・農耕文化が生んだ「カミ」と「ウチ・ソト・ヨソ」

 日本人が考える「森羅万象」は人も獣も同じ空間の中に存在していたのに、農業をすることで堀や柵のような区切りがつけられ、生活空間にもウチとソトの概念が生まれた。それまでは万物が一体化していたのでカミも身近に感じられていたのに、存在が薄くなり、ソトから来てもらう降臨や来臨、勧請という思想が生まれたのではないか?という考え方。

 

・神仏習合と日本

 神道と仏教がお互いをうまく利用しあったのは周知のはずだが、日本人に知られていない事実も多くあるらしい。

 例えば、仏教は元々葬式をしていなかったらしい。仏教伝来の頃、神道のほうで先祖供養的なものが流行りだしていたので、供養に重きを置いて布教が始まった(?)という話し。

 神道も仏教の知識を得て、神像や社殿をつくりだしてきたという。

 また、人が神様になったのは菅原道真が最初だが、これもお釈迦様が修行で悟りを開いて仏になったことを真似たのだとか。高島先生は落語家でもあるので、どこまでが真実でどこからネタなのか勘ぐってしまうが、天神信仰史は専門分野なので確信あってのことだろう。

 一方で、これだけ日本人に慣れ親しんでいる神仏習合ではあるが、説明しかねることもある。それは、神道では仏教から離れようとした伊勢神道や吉田神道の方が栄え、仏教においても神道色を排除しようとした浄土真宗が最大の教団になったという事実である。創価学会も然りで、日本人は結果として「分けようとしている教団」になびいているのである。これには高島先生も説明のしようがないという。

 

 

 session 3 「日本の聖地の痕跡」(植島啓司先生)

 

 植島先生の名前は、著名な国際観光ガイドである青崎涼子さんから伺っていた。

熊野古道に関する研究や著書も知られており、話を聞いてみたいと思っていたので、直接ではなくとも、このような対談的な書物に巡り合えてラッキーである。

 植島先生からは、熊野古道にも通じる海の信仰、東南アジアこそが人類文明の源といった面白いお話が目白押しであったが、ひときわビビビっときた倭人と日本人に宿る海の記憶について取り上げたいと思う。

 

・龍蛇神信仰と日本人の入れ墨について

 倭人とは南から渡ってきて、中国の江南地方、朝鮮半島、日本列島に住み着いた人々で、日本人の原型と言われているが、『魏志倭人伝』や『漢書地理志』などにも漁労技術の発達した集団と書かれている。出雲大社に祀られている龍蛇神(セグロウミヘビという実在する動物)の信仰は、日本のいたるところに残されており、それこそが日本の聖地の原型に当たるのではないかという推察である。

 大地よりも海が先???陸地に住んでいた人類に信仰の場は存在しなかったのだろうか。文脈では、倭人によって聖地がつくられたということになる。

 それを裏付けるというか、もっとも興味深かったのが、「海民の伝統としての入れ墨」説である。

 大分県竹田市の穴森神社にも、地元の緒方一族は蛇と人から生まれたという話しが残っていて、身体に蛇の尾やうろこがあったと云われている。他にも伊予、宗像、瀬戸内西部などで、祖先が龍蛇神と交わって生まれたという伝承は多い。

 また、『魏志倭人伝』には、「倭人はみんな入れ墨をしていて、そのおかげで龍やサメに襲われないですむ」と書かれているらしく、ヤクザが入れ墨をするのもまったく同じ意味で自分の身を守るためのおまじないだという。子どもの頃から抱いていた「どうして入れ墨にうろこを描いているのか?」という疑問がようやく晴れた。

 

 ということで他にもたくさんの「へぇ~」があったり、他意はないのに何故だかスルーしてしまった茂木健一郎先生の話しも面白かったので、興味のある方は是非とも読んでほしい。

 以上、「聖地巡礼について考える」シリーズでした!コンプリート(拝)

 

 

 

 

 でわ!