令和5年2月22日。

 

 澄み渡った青空に雪山が映える山口市阿東地区を訪ねた。ここは、都から逃れたかの静御前が余生を偲んだ終焉の地として知られている。

 

道の駅にそびえ立つ静御前の銅像

 

 新山口駅を10時に出立したおかげで早目に到着。昼食と打ち合わせを兼ねて「道の駅願成就温泉」に立ち寄った。島根との県境にある高原地帯。空気は冷たかったが、日差しは眩しく、気温もぐんぐん上昇しているようだった。

 

 

 

 慌しく駆け巡った山口行脚も最終日。大分の仕事もあと少しで終わる(はず)。

 いつものことだが、どうして公の事業というのはこうも年度末に集中してしまうのだろうか。委託者も受託者も皆分かっていることなので早い時期から調整しているはずなのだが、行きつく結末は毎年一緒であり、私や関係者を含む多くの日本人がドリフターズや水戸黄門に祟られているのではないかとさえ感じる。

 そんな冗談を交えながら元上司のSさんとコーヒーを啜る。

 

 時間に余裕があったので、町の図書館を探して訪ねてみようということになり、辿り着いたと思ったらセミナー会場と同じ建物だった。超コンパクトすぎるシティ。

 

 阿東町は阿武郡から平成の大合併で山口市に編入された。町史をみると、昭和57年には人口1万1500人、町内に50余の工場を有し、多くの特産品(徳佐りんご・篠生梨・あとう米・わさび・乳牛・葉タバコ・錦鯉・椎茸・夏菊・シクラメン・蘭・ガーベラ・カーネーション・トマトやキャベツなどの高原野菜など)にも恵まれた豊かな町なのだった。

 農泊の規模はそんなに大きくもなく、これまではお隣の萩市と一緒に北九州市から中学生の体験学習を受け入れていたが、次年度からの廃止が決まったので、個人客やインバウンドを含め新たな市場を模索したいとのこと。

 阿東のようにポテンシャルは充分持ち合わせていながら、知名度の伸びない農泊(観光も)地域はたくさんあって、このようなケースの場合は他所が行うようなマーケティングはせずに、「差別化」を図ることに一点集中すべきだと考える。

 

マーケティングでなくイノベーションが他所との差別化に

 

 セミナーには5名の方が参加してくれた。前回、前々回の会場よりも少人数だが、その分コミュニケーションの密度は濃い。一人ひとりの願いや直面している課題を共有できる近さがある。

 

大分にも在住経験のあるNさん(左)と協議会のS会長(右)

 

 

9年前に起農したMさん(左)と忍者屋敷に想いを寄せるSさん(右)

 

 

観光型でなく体験型農園に拘りたいと話すMさん

 

 

 「突き抜ける」ためにポテンシャルのあると思う資源を挙げ、その活用方法等について、まっさらな視点から考察を重ねてみる。やがて30以上のシーズが出揃い、これを如何にセグメント或いはプライオリタイズしていくべきか…

「滞在時間が短いと本質に近づけない」ということで阿東ならではのスローな領域にこだわり抜いて、価値を見出すこととした。

 

 

 

 

スローツーリズムの概念のもと、ポストイットの位置も大きく移動

 

 

 今年度も多くの実践者やこれからを担う方々との出会いに恵まれて心底有難かったが、このたび初めて「忍者屋敷をつくりたい」という女性に出会った。S津範子さんである。

 更に驚いたのは、頂いた名刺には「造園業と農業の仕事GFSその他いろいろ」と書いてあって、保有する免許・資格は、・造園技能士2級・第二種電気工事士・フォークリフト・高所作業所・アーク溶接・ガス溶接・認定農業者・大特(農耕車限定)など様々で、ついでに太陽光ソーラーによる発電の管理も行っているらしく、もはや6次産業という枠では収まりようのない人だったのである。

 私の知る限り「忍者屋敷を建てたいとか住むのが夢」と語るのはエッセイストの宮田珠己さんだけであり、彼女は宮田さんのそれは知らないらしいが、忍者寺・妙立寺には研究のために是非行かねばみたいなことを言っていた。私が思うに彼女の存在こそが唯一無比、阿東にとって究極の差別化だろう。かなりぶっ飛んでるが、きっと実現してくれそうだし、開業の折りには是非とも宮田さんを誘って泊まってみたいと思ったのである。

 

 また、農泊を実践している多くの地域や来訪者が人々の意識に潜んでいる「昭和」の良き日を追い求めているように感じていた私にとって、忍者やら峠の茶屋のような近世以前のキーワードが並んだことも新鮮だった。これからの農泊で提供される食事や生業にも変化が生まれるかもしれない。

 山口県の楽しみが新たにひとつ増えた。

 

 

 

 

 

 でわ!