昨年10月に大阪で開催されたツーリズムEXPOジャパンの会場でスペインのブースに立ち寄った。カタルーニャ地方のパンフレットを懐かし気に見つつ、ふと、ガリシア地方のガイドブックを手に取った。ガリシア州は、ポルトガルと大西洋に面したスペインの最北西端に位置するエリアで、巡礼の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを要する州である。熊野古道とコラボしているようで共通のガイドブックや巡礼手帳もあったりして、少々(かなり)羨ましかったが、私が真に焦がれてならないのはサンティアゴの方であった。

 

 私がサンティアゴ巡礼を知るきっかけになったのは、熊野古道ではなく四国遍路だった。スペインのアルベルゲ(巡礼宿)で「ハポン(ジャパン)のシコクというアイランドにそれはそれはファンタスティックなカミーノ(巡礼・道)があるらしい」といった噂が語られていたそうで、その口コミがきっかけで実際に歩きに来たという外国人と私も遍路道中で会っている。

 

 以来、いつしか機会があれば行ってみたいと思っているのだが、対岸の四国ならいざ知らず時差が8時間もあるヨーロッパ。おいそれと気安く出かけていくという訳にもいかない。

 

 そこで、2年半かけて昨年5月に四国遍路を満願し、お遍路にかかわる書籍や実際に体験した旅行記を読み漁った。

 

 始める動機は人それぞれでも、ゴールが近づくにつれ心境に変化が表れるという点は皆同じだ。もっとゆっくり楽しむべきだったとの思いがよぎる。だから、また歩きたくなるのが巡礼の罠であり最大の魅力のように思える。道中に遭遇するハプニングや思いがけない人や自然との出会いも胸の奥深くに刻み込まれていく。経験した人にしか分からない世界、というものが存在する。だから、お遍路さん同士が共鳴するんだと思う。

 

 お遍路著者の中には俳人の黛まどかさんのようにサンティアゴも四国も歩いたという方もいて、私の中でますます聖地への思いは強くなっていた。

 

 巡礼に対する考え方も自分なりにまとまってきたなと思いつつ、今年最初に読んだ一冊。

 

 

 ぶらりあるき 『サンティアゴ巡礼の道』

 

   (著:安田知子、発行:不要書房出版)

 

 それまではただ漠然と、パリから出発する800㎞ほどの定番コースの他にも3つ程あるらしいとか、ホタテ貝の殻が巡礼者のシンボルだということくらいしか知らなかったが、四国を一周しなくてはならないお遍路と違って、サンティアゴ巡礼は幾つかのコースがあり、特に決め事もなく、何処からスタートしても構わないらしい。どの道でも、徒歩・馬で100㎞或いは自転車で200㎞以上を通過したというクレデンシャル(巡礼地のスタンプを押す証明書)を提示すれば、オフィシャルの巡礼証明書を発行してくれ、さらに、この時の申請書に巡礼目的を「宗教」と選択して申請すれば、カテドラルで行われる巡礼者のミサで出身国籍が読まれるというプレミアムもついてくる。やってること自体はスタンプラリーそのままみたいだが、ここまでやってくれるというのがサンティアゴ巡礼の大きな魅力ではないか。四国遍路って特に何もなかったもん。

 

 他にもスペイン人はひたすらガツガツ歩くことを良しとしないとか、朝・昼・夕・夜と1日最低4回はバルへ立ち寄るは、深夜までワイン尽くしが当たり前だとか魅惑的な滞在の様子が書かれていた。お遍路を歩く人の多くは何処か修行というか、ストイックな感じがしていたが、お国が変わればこうも違うのだろうか。サンティアゴ巡礼がスペインじゃなかったら、こんなに有名になっていなかったとも書かれている。特に、ドイツ人や日本人は真面目に歩きすぎでスペインの文化を楽しむためには、もっと歩くペースを落とすべきであると。それはお遍路でも同じことを感じた。特に年配の人。

 

 四国遍路の終わりは、結願の後最初の札所へお礼参り、高野山参りで満願だが、サンティアゴ巡礼はミサを終えてそのまま西へ向かい、フィニステラという大西洋に面した街まで行き、岬で靴や服を燃やして去るというのが巡礼者の恒例儀式となっているらしい。

 

※本作より引用

<それは汚れたものから疫病の発生を防ぐことや、また旅の終わりの新たなスタートを意味していたのかもしれない>

 

 サンティアゴがリ・スタートでフィニステラが助走という発想。なんか、いいな。言語の壁はあるにせよ、旅行記を読むことで少しずつ理解が深まってきたような気がする。ヒザコシに爆弾を抱えている私であるが、いつしかガリシアの地を踏んでみたいと思っている。

 

 

 

 

 

 でわ!