伝承によると日本の盆行事のルーツというのは、推古天皇時代の十四年(606年)七月十五日に斉会が催された盆会が起源だとか。全国各地で迎え火や送り火が焚かれて、仏たちは火を目印に去来するという。なるほど、それで灯りや提灯というわけか。
大分県下でも、三隈川(日田)や稲葉川(竹田)といった山間部、国東などの海岸部で精霊流しの類があり、盆踊りとは異なる盆行事を見ることができる。
歴史ある酒造場が集まる宇佐市長洲地区に、他郷では例のない精霊送りと御殿灯籠というのがあるというので行ってみることにした。私の故郷と良く似たせどの多い漁師町である。
観光協会などのHPによると、午後14時あたりから行われるようで、詳しい場所は記載されていない。表立ってPRするようなコトじゃないんだろうと思っていた。
ネットで情報を集め、それらしい共同墓地に向かうと、それらしい広場に出くわした。土を盛った場所に盆提灯や飾り物が置かれていて、どうやらこれから火をつけるようである。
しばらくして轟々と燃え始めた。木と紙ばっかなので萌え出すと早い。
燃やす係の人や燃やす家の順番なども決まっているようで、この後のスケジュールを訪ねてみると「今日は全部で8軒。御殿灯籠は15時にやってくるよ。」との事。
まだまだ時間もあるので、いったん車に戻って待つことにしてこの場をひきあげよう、
と思っていたら・・・墓地のどこからか唄とお囃子が聴こえてきた。
御殿灯籠ではないが、さっき燃やしていたものよりも大きく、これまで見たこともない飾りであった。親戚が一堂に集まり、お墓に花を添え、口説が唄われる。
やがて、若い男集が飾りを掲げて、全員が列をつくり唄いながら、先ほどの火葬場(?)へ向かって歩き出した。
生ぬるい潮風にのって口説唄が流れる。ご先祖様を天へ送りかえす親族たち。燃やしきってしまうことで、何かを断ち切るということだろうか。列を眺めながら、どこか遠い国の部族の祭礼行事を見ているような気分になってきた。世界もだが、地元大分や九州も広い。まだまだ自分の知らない世界が現実にこうしてあることに驚いた。
駐車場まで戻ると、入口近辺になにやら大きな祭山車のような物体が見えた。
御殿灯籠だ!
一目散に向かってみると、想像以上の迫力。
写真は遠慮しつつしばらく眺めていたら、誰かがスマホで一枚撮ったのを皮切りに一斉に撮影会が始まった。
寄ってみると、その細かい造作に驚かされる。
五重塔
背景の滝は和紙だが、モーター仕掛けで流れるという
無明橋の上にお坊さん
見事な庭園、梅の花とこちらにもお坊さん
彫刻もお見事
左は松、右には梅。アシンメトリーなデザイン
最も感動した流れる滝、後ろから撮影
地元の方から伺ったのだが、誠に残念なことに御殿灯籠は今年が最後になりそうだという。これらをつくっている唯一の職人さんがご高齢で、来年以降はつくれないとおっしゃっているらしい。本当に残念である。誰か継いでほしいと思うが、すぐにほいっというわけにもいかないんだろう。なにせこれだけの創作飾りなんだから。
別の方のお話しによると昔はもっと多くの御殿灯籠が運ばれてきたらしい。NHKが生中継するほどの注目度で、テレビを意識してか派手さや豪快さを競い合っていたという。
「借金をしてでもつくれ」そういわれて代々受け継がれてきたそうだ。
それでも使いまわさずに、3日間飾ったら15日には燃やしてしまう潔さというか何というか。
こんな素敵な民俗風習だったら、もっと見ておきたい。
お盆休みの過ごし方を考え直さねばならない気がした。
でわ!