沈没とマラソン
(第3回/全14回)
望月竹一
二〇二五一〇〇五
六時過ぎに目が覚めた。三〇分後には朝飯が始まるが、いても立ってもいられず、外に出た。ドンコイをサイゴン川の方向に歩いているといろんな人に声をかけられた。コンチネンタルの真ん前にある市民劇場(オペラ・ハウス)の入り口に年代物のアメ車が停まっていて、そこで通りがかりのおっさんから写真を撮ってくれと声をかけられた。バイタクのおっさんたちも元気だった。どこから来た、朝飯は、今日の予定は、シティー・ツアーに行かないか、おれの歩くのに合わせてゆっくりと歩道をバイクでついてくる。下手な相手を選ぶとぼったくられるは、けんかのもとだは、で大変なことになるが、向こうも商売だからと、あんまり冷たい態度も取れない。
ぐるりと廻って市民劇場の所に戻ってくると、年代物のアメ車はまだ停まっていた。ウェディング・ドレスを着た女性と、その花婿らしい二人が写真のモデルとしてカメラマンのいろんな注文に応えていた。どうやらアメ車はウェディング写真の小道具のようだった。
いい具合に朝飯は始まっていた。レセプションで場所を訊いて、一階の奥にある木枠にガラスをはめ込んだ扉を開くと、おねえさんに部屋番号を尋ねられた。
席はどこでもよさそうなので、食べ物を取りに行きやすそうな所を選んだ。背後にビュッフェ形式でいろんな食べ物が置いてある。おれはまずジュース類から手をつけた。同じオレンジ色でも色の濃いのと薄いのがあった。色の濃いのを撰択すると、それはパッション・フルーツのジュースだった。二年前、マジェスティックに泊まったときおこわを食べて大変おいしかった。ここにもないかと探したが、なかった。代わりにおかゆがあったのでピータンと刻んだパクチーをのっけて持ってきた。かにのスープ、カリフラワーやにんじんとカシューナッツの蒸したもの、幅広麵のハーブ添え、贅沢に盛り付けて朝飯は盛況だった。特に野菜とカシューナッツの蒸したものは、野菜を蒸すとこんなにおいしいのかと思わせられた。
料理をすべて平らげたが出発まで間があった。テレビをつけっぱなしにして部屋で荷造りをした。ファングーラオまでどうやって行こうかと思い悩んだ。距離にして二キロ程あるようで、歩けないことはなかった。ただ大荷物で歩くのがおっくうだったのでタクシーの利用も考えた。宿の玄関にタクシーの溜まり場があるならファングーラオのバーガーキングのところまで、と宿の従業員に言ってもらえばいい、しかし、この宿にはタクシー溜まりはなかった。グラブという手段もあった。これは東南アジア一円で使えるタクシー・アプリである。行き先を設定すると値段も自動的に出てきてカードで決済される。交渉する煩わしさやぼったくられる危険がない分重宝で外国人も使っているようだ。バスは一〇時半の約束で、歩くなら九時四五分には作戦を開始せねばならない。
結局、九時四五分に待ちきれなくなってチェックアウトしてしまった。でこぼこでバイクが行き交うサイゴンをゆくのは難儀ではあったが、始まったばかりの旅の高揚感がこの撰択をさせた。
Ibisというバス会社のカウンターまで三〇分かからなかった。昨日の兄ちゃんが座っていて、彼はおれのことを覚えていてくれた。座って待っていいか聞くと、もちろん、と返事してしばらく待った。カメラの値段など訊かれていると、赤いポロシャツを着たおっちゃんが迎えに来てそこから数十メートル先のD&Dと書かれた事務所に連れて行かれた。どうやらこのD&Dエクスプレスという会社のバスでプノンペンまで行くことになるようだった。
D&Dではカウンターのおねえさんにパスポートを取り上げられた。なかなか返してもらえないので、あの、パスポートは……というと、ああ、自分でやるのね、といって返してくれたが、ほかの乗客は預けたままで、しまったなと思った。同じバスの乗客と思われる人々はパラパラとやってきていたが、バックパッカーはおれだけ、カンボジア人に見える人は誰もいなかった。
程なくして事務所の前にバスがやってきた。古びているが普通の通路をはさんで二席ずつシートを連ねたバスで、Ibisの事務所におれを呼びに来た赤ポロシャツのおっちゃんが乗客に水とお菓子を配った。バスは出発しロータリーを廻りどうやら北へ向かっているようだと思うとすぐに下ろされてしまった。乗客はバスの腹に入れた荷物を待っていたバスに移し替えている。どうやらここで乗り換えのようだった。
新しいバスは寝台バスだった。寝台バスでは車内で靴を脱がされる。ビニール袋を配られ、靴はそれに入れて手元に置いておく。幅七〇センチくらいの二段ベットが三列に連なるバスで、現在のベトナムで長距離バスというとこのタイプが多いようだった。乗りづらいんだよな、普通のシートでいいのに。ちょっと渋い思いで真ん中列の一番前、下段に陣取った。
カメラを抱えて寝そべっていると例の赤いシャツのおっさんにチケットは、と訊かれた。チケットはD&Dの姉さんに渡してそれっきりで、改めて訊かれると思わなかった。びっくりして、ないよ、と返事してどうしたものかと思っていると、おっさんは携帯をとりだしてどこぞに連絡を取り、おまえはあっちのベッドと指さされ、おれは移動した。
バスは北西の方向にむかい一時過ぎまた停まった。雨が降り出しており、さいわい屋根のあるところだった。みんなについて下りていったが、何も売っていない。ドライブ・インではなさそうだった。近くの建物の看板にモクバイとあったのでどうやら国境のようだと思った。他の乗客は連れと何事かおしゃべりをしている。おれはここはどんなもんじゃろ、とみまわしている。天に向かって両手をかざしたような、鳥居の横棒を天にねじ曲げたような飾りのついた威嚇的な変な建物があった。
少したってバスにまた乗り込んだ。そして少しだけ前方に移動しまた停まった。まだ腹が減らないな、などと思っていると添乗員のおっちゃんがおれを手招きをする。左手の建物に連れて行かれ机をはさんで座ると、たどたどしい英語で、プノンペンでの住所は? 滞在目的は? などと訊かれた。その内容からアライバル・カードをわざわざ記入してくれているようだ。ひと通り質問が終わると、あっちだと指さされ、パスポートを渡された。英語の表記もなくおっかなびっくり進んでいくとガラスで囲まれた小部屋が二つありそのうち左手が開いていた。パスポートを見せて、こちらに向けられている小さなカメラを見るようにいわれ、帽子を取れ、眼鏡を取れ、指をここに乗せろ、細かくいわれたのちゆっくりとスタンプを押して返してくれた。
税関はフリーで、バスの腹から荷物を引っ張り出すこともなかった。右手に免税があるのを確認し、覗いてみたい気持ちに駆られながらも出口に足を進めた。バスに戻ると手続きが終わったのはおれだけでまだ誰も戻ってきていなかった。自分のベッドで寝転んでいると、三々五々戻ってくる。最後に添乗員のおっちゃんがやってきて、名前を呼び、まとめてパスポートを返していた。ベトナム人たちは入国手続きが別でバス会社がまとめて面倒見てくれるようだった。
国境を出発するとすぐバスは集落の中に入っていって停まってしまった。下りてみると飯屋であった。ちょっとした障害をクリアして高揚した気分だったが少し挫かれた気分であった。しかし今食べておかないといつ食べられるか。ただ、問題があった。カンボジアのリエルをもっていない。カンボジアはUSドルも普通に流通しているとのことだったが、こんな場末の飯屋で通じるかどうかわからない。ベトナムのドンはどうだろう。昔カンボジアータイ国境を越えたときカンボジア側でバーツが使えたのを思い出した。思い悩むうちに休憩は終わってしまい、おれは喰いっぱぐれてまたバスに乗った。
バスの中ではあまり、眠れなかった。窓の外を見てぼんやりするだけである。川が見えて、どんな名前か、と思ったときは写真を撮った。カメラにはGPSが内蔵されており、日本に帰って調べればこの川が何というのかわかるからだった。夕焼けが見え始めて、集落に入るごとにそろそろではないかという期待を持つようになった。それでもなかなか、プノンペンは遠かった。
バスが街に入り、それがなかなか途切れないな、と思い始め、渡河し、ここがプノンペンならそろそろ下ろしてほしいと思ってもバスはしばらく停まらなかった。空はすでに暗くなっており南国ながら秋の寂しさが感じられる。日本のイーオンが目に入った。このようなものがあるのはおそらく首都プノンペンであろう。おれは川沿いに宿を取っていた。どんどん離れていくのでハラハラした。少ししてやっとバスは停まった。
乗客たちは我先に下り始めた。おれは二段ベッドの上で、おりるのに足下が心許ないのであとの方になった。ステップをおりて靴を履いて開けられたバスの腹の方に歩いて行った。おれのザックはすでに出されていた。片方の肩だけで担いで、さあどうしようかと思った。そのとき、バイタクに声をかけられた。経験的にこういう長距離バスの停車場で客待ちをしているひとは危険がないひとだった。仲間内で、いちど声をかけるとそいつのお客ということになり、他の人は声をかけてこない。
どこまで行くんだ? と訊くので、一三〇番街、リバーサイド、と答えると四ドルとの答えだった。どうやらリエルじゃなくUSドルでいってくれるらしい。バスが川を渡ってからここまで結構な距離があったから(バイタクがいうには四キロとのことだった)そんなもんかなと思った。加えてここがどこかわからないので、バイタクの助けがないと宿までたどり着きようがなかった。
オーケー、おれは答えてバイタクのケツに乗った。光の海のなかを車体を傾けてカーブを曲がり、いや、こわい、と思いながら早く着くことを願った。ホテルは決まっているのか? というので、決まっているよ、と答えたが、知ってるところがあるからつれてってやるよと続けたようなので変な気がした。
連れて行かれたのは昼のように明るい繁華街の中のちょっとしたホテルの前であった。ホテルの名前を調べて、どうやら違うところに連れて行かれたことを悟ったが、大雑把な性格のせいで腹も立てずに、四ドルを払ってやった。
しかし、現在地を割り出さなくてはならない。とりあえず、もっと明るいところに向かって歩き始めるとさいしょの角のところでトゥクトゥクに声をかけられた。一三〇に行きたいんだよ、と答えると、なーんだ、という風情であっちだと指さしてくれた。その通りに行ってみるとたったひとブロックで一三〇番街にぶち当たった。よかった。あとはリバーサイドを探せばいい。もっと明るい辺りへ進むと一〇〇メートルも行かないうちに今宵の宿を発見した。
中へ入っていくと従業員の男が暇に飽かせて外を眺めているところだった。予約していることを告げるとなにごとか調べている。リバー・ビューの部屋を予約したんだけど……と言い添えると、カード・キーを渡してくれた。
部屋に入って荷物を置くと、すぐに外に夕食を摂りに出た。シソワットキーと呼ばれる川沿いの遊歩道が至近で、そこがもっとも明るかった。歩行者天国の人混みができていて夜市になっているらしい。
蜂の巣らしきものが透明のセロファンの袋にくるまれて売っている。このまま食べるのだろうか。ケーキをテーブルにのせて売っていると思えば、テーブル・クロスにティラミスと書いてある。踊り子と太鼓の叩き手とで、芸を披露している人もいる。すごい人だ、おれはここを訪れた四半世紀前を思った。
あの頃は夜歩きができない街だった。買春と麻薬目当ての滞在者が多く夕方近くになると宿のロビーに現れ、バイタクに乗ってどこかに消えてゆく……。一日チャーターしたバイタクの運ちゃんは孤児だった。日本語がペラペラ(独学したようだ)で両親は知識人だったようだから、クメール・ルージュによる粛正の対象だったかもしれない。旧ツールスレン刑務所やキリング・フィールドをみて日本の敗戦直後のような荒廃を感じた。平和って本当に貴重なんだ、政治が一歩間違えると本当に怖いんだ、そう強く感じた。
遊歩道沿いの夜市をひとわたり見てから、夕食を食べられる店を探した。とても混んでいる中華料理屋を見つけた。席がいっぱいなようだから諦めたが、この辺一帯飯屋があるようだった。店先にあるメニューを眺めていると女の子に声をかけられた、英語で返事をすると、曖昧な笑顔を浮かべた。USドルは使える? と訊くと奥に入って若い男を呼んできた。彼は英語ができたのでメニューを持ってきてもらいとりあえず、地場のアンコールというビールを頼んだ。付け合わせは皮付きのピーナツを煎ったもので、手で煎ったのかところどころ焦げていた。今宵の夕食は鶏肉と青菜を炒めたもので、皿にまあるく白飯が盛り上がった脇に添えられていた。
夕食を終えて、夜市を冷やかしながら宿へ戻った。その途中例のケーキ屋でティラミスを買ってみた。マスカルポーネ・チーズは緩く固まっておりそのうえに振りかけられたチョコレートの粉末になぜか砕いたオレオがのっていた。
〈つづく〉










