久しぶりの更新!
英語ができない大久保です(*_*)!
ベトナムホイアンをでて、ダナン、ホーチミンへ
そしてカンボジアシェムリアップで関西あおぞらプロジェクトのメンバーと合流して
村での活動を終え、プノンペン。
そして現在はバッタンバンに向かうべくバスに揺られてるなう!
観光の記事ばかりじゃ面白くないので、今回はちょっと真面目なお話に。
シェムリアップ到着2日目
里美とシェムリアップのゴミ山とスラム街へ行ってきた。
シェムリアップから
トゥクトゥクで1時間ちかく走る。
遠くからも見える煙。
農村の奥に進むとそこには大量のゴミが積まれた山のような場所がある。
1日に10台近くのゴミ収集車がカンボジアシェムリアップ中のゴミを積んでそこにやってくる。
《ゴミ山》
と聞くとどんなイメージを浮かべるのでしょうか?
きっとイメージ通り。
汚い、クサイ。
腐った生ゴミの臭い
目に染みるゴミを焼く煙
池みたいなところからは謎の泡やガスが発生している
もはや気にする方がめんどくさくなるくらい大量のハエ
日本では絶対に考えられない状況が目の前に広がる。
ゴミ山をよく、
《スモーキーマウンテン》と言う。
ゴミがどんどん積もっていくと困るので火をつけてゴミを焼いていくのだ。
もちろん分別なんことをしてるはずもなく、有毒ガスが大量にでていることくらいあたしでもわかる。
だけど
そこで暮らす人がいる。
そこで働く人がいる。
この信じられない光景のなかで
お金になりそうなものを探し続ける子どもがいる。
大人でゴミ山に来ているひとは
自分の意思でそこで働いているひとが多い。
家族みんなで朝から晩まで働くと
多くて70ドル近く稼ぐひともいるらしい。
だけどそこで働く子どもたちは親がいなくてそこで働かざるおえなくなった子や
貧しいために親にそこで働きに行くように言われた子がたくさんいる。
彼らは教育を受ける場はあるのに
今日の《生きる》を、
明日の《生きる》を、
優先せざるおえない状況にある。
正直言ってあたしは
今日や明日の生活を心配しながら
生きたことがない。
生きるために働いたことや
生きるために食べたことがない気がする。
いつも《よく生きる》ためであって
《欲を満たす》ためであって
生きることを第一優先にして
行動したことなどほとんどないと思う。
目の前には
ゴミが積まれたトラックの前に
整列してゴミを待つ人々がいて
家畜の餌になる生ゴミを拾うおばあちゃんがいて
《生きるために》を強烈に突きつけられた。
そして生きる強さというか
命の強さというかそんなものを
すごく感じた。
たくさんのひとの
《生活》が、《生きるための営み》が《命》が、《笑顔》ある。
笑顔が素敵で楽しそうで
だから彼らは幸せだ、なんて言えない。
だからって彼らは不幸だ、なんて決めつけは間違っている。
それは彼ら自身が決めることで
彼ら自身が感じることで
あたしはなにも言えない。
可哀相とは違う。
そんなんじゃない。
だけど色んな不条理を感じずにはいられない。
彼らが自分で望んでそこに行き着くのならそれでいい。
だけど、そう望んでいないのなら
彼らが自分の運命だと諦めて
そこで働くのなら
きっと世界は変わるべきなんだ。
変えるべきなんだと思う。
今もうまく言葉にはできない。
たぶんめちゃくちゃな文章だ。
だけど今の自分の気持ちはこんな感じで、ずっとずっと消化不良を起こしたみたいにぐるぐるしてる。
きっといつまでもうまく言葉になんかできない。
そんな気持ちです。
んー。
今日はちなみに地雷原だった村へ
いってきたのです。
またそのことは里美が書いてくれるらしいので。
では
では。
03.21.2013