どうも、三月に入りとても暑い日々を送っています。
毎日ひたすらシェイクとスイカを食べてても
体調良好な田中里美です!
地雷原の村に訪れたブログを書き始めて
これで5回目。
完成間近の記事がいきなり消えたり
うまく保存されていなかったりで、もう大変です。
でも懲りずに何回でも書き直しますw
カンボジアでサークルのメンバーとの活動を終えて
カンボジアのバッタンバンへ。
テラ・ルネッサンスの日本人駐在員の江角さんに
案内していただき、孤児院で二泊
地雷原の村へ連れて行っていただきました。
バッタンバンで3名の地雷被害者の方と
ふれあわせていただきました。
その中でも印象的だったのが9人の子どもをもつ
お父さんです。
お父さんは5年前、農作業中に地雷被害にあい
左足の膝から下を失いました。
十分な栄養のある食事にもなかなかありつけず
不安定な職と収入で
なんとか生活を送っているそうです。
こどもたちのおなかは栄養失調でぽっこりと
ふくれていました。
今まで訪れた、どのカンボジアの家庭とも違っていました。
貧困層の人々の暮らしを目の当たりにしました。
「貧困」に対する知識や
解決したいという漠然とした気持ちを長年持ってはいましたが
いざ目の前にすると、自分の考えの浅はかさと
この家族が抱える問題の大きさに
自分の無力さを感じずにはいられませんでした。
次にタイとの国境沿いにある村に行きました。
この村にはかつて6000個以上の地雷が埋まってたそうです
地雷撤去という本当に地道な作業によって
確実に地雷は撤去されていました。
この村を奥に進んでいくと
タイへ入国できるゲートがあり
なんの手続きもなしに簡単に
タイへ入国することができました。
いちようカウンターのようなものが設置されており
タイ人のおじさんが私たちをみて
「おやすみなさい~~!」と迎え入れてくれました。笑
ゲートを超えるとそこはもうタイ!
こんな簡単に国境って越えられるものなのかと驚きました!
通貨はリエルではなくタイバーツで
挨拶はチョムリアップスオ―ではなくサワディーカッ
この線をまたぐだけで様々なものの基準が変化していました。
国境を越てすぐのところの小さな商店で水を買って
子供と戯れていると
私たちの目の前に広がる広大なタイの山々の中から
『ドンっっっ!!!』
と低くて大きな音が鳴り響き
もくもくと黒い煙が立ち上がりました。
それはまさに地雷が爆発した瞬間でした。
私たちは言葉を失い
何が起こったかわからず
得体のしれない恐怖に襲われました。
爆発した地雷は対戦車地雷と言って
名前の通り戦車を爆発させるための地雷でした。
普通の地雷よりも威力があり
爆発すると30mほど戦車を吹き飛ばし
全て粉々にしてしまうものだそうです。
私たちのすぐ近くでこの対戦車地雷が爆発し
一人の方が命を落とされました。
近年、農業の機械化が進むことで
トラクターなどで農作業をする際に
トラクターの重みに対戦車地雷が反応して爆発するという
事故が多発しているそうです。
あの瞬間に心臓に響き渡ったあの爆発音の振動が
今でも離れません。
一人の方が亡くなられたという事実を
帰りのバンの中で聞いたとき、
人生で初めてなんともいえない空虚感で
開いた口が塞がりませんでした。
しばらく何も考えられず、
ただただ一面に広がるキャッサバ畑を眺めていました。
自分のすぐ近くで
あの一瞬で
この世で最も尊いものが1つ失われた。
地雷の怖さはわかってはいたつもりでしたが
いざ目の前でそれが起こると、
いろんな感情が一気に
こみあげて言葉になりません
バッタンバンでの体験は国際協力の定義を考えさせられるものでした。
私が今していることは本当にその人達のためになっているのでしょうか。
それともただの自己満足なんでしょうか。
「学生は微力だけど、無力ではない」
という言葉を信じきれなくなってきました。
この旅を通して、しっかりと自分自身と向き合って
前に進んできたいと思います。
だらだらとまとまりのない記事ですが、
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
では、また!