今日はちょっとセンチメンタルなブログです。
JALの再建計画に保有機材の整理というのがあります。
このブログでも何度も取り上げておりますが、
たびあん は昔、この画像の
航空会社関係の旅行会社社員でした。
そして、この画像の飛行機は たびあん が初めて飛行機に乗る直前の
(空の女王ヨーロピアン・エアバス)
私が、初めて飛行機に乗ったのは画像のとおり、
社会人1年生の
1992年9月16日 JAS266便KMQ→HND A300‐600R(JA8375)でございました。
飛行機の事が全く分からない新入社員が、規定類集を読みふけり夏前の繁忙期(その頃飛行機は1カ月前の予約でした)必至に仕事に喰らいついて仕事して、
専務から頑張ったご褒美に「飛行機乗って来い(勉強の意味で)」って、
「AD00」(旅行会社ただで乗っていいよ利用券)をもらい
富山に住んでいる仲間(コイツも現役旅行会社社員)の所からの帰りの事でした。
当時、エアシステムの指定代理店に勤務していた私には初めての特別なフライトでした。
富山の仲間に北陸道で送ってもらった秋晴れの小松空港に並行で降りてくる女王。
自衛隊スクランブルにより出発がやや遅れた事。
救命胴衣の着用方法のデモンストレーションを真剣に見ていた事。
この飛行機のエアコンの吹き出しがブロンズ仕様なところ。
通路側席で外が気になる私に離陸前なのにCAさんがさりげなくH側の最後尾の席を用意していただいたこと。
緊張していた私にCAさんが気を遣ってジャワティー(JASは大塚製薬が株主だったからね)のおかわりをいただいた事。
たったの1時間で厚い雲に覆われた羽田空港に何事もなかったかのように着陸した事。
この初フライトの感動は今でも昨日の事のように思い出します。
エアシステムの指定代理店だった私はこの時の感動を忘れずに、
「JAL・ANAには絶対負けない。JASが1番」そんな特別な気持ちでずっと仕事をして参りました。
会社がJALに吸収され、
レインボーカラーから、塗装がJAL塗装に塗り替えられても、
羽田空港や地方空港で出逢う、
「JA8375」
このシップナンバーを見るたび、私の元JAS屋としてのプライドとあの頃の熱い思いを思い出し勇気づけられていました。
飛行機だって、古くなれば当然代替えされる事は当然の事だと思います。
今回の画像の飛行機だって1991年に就航しているわけですから、かれこれもう20年近く日本の空を飛び続けている訳です。
もうそう遠くない時期にお別れする時がくるのは判っていました。
でも、今回もJALの「体のいいJAS切り」に見える対応は、
どんな理にかなった理由でも、
長年JASと共に業界を生き抜き、
プライドを持って仕事をしてきて、
でもJALに統合されてからのHNDでの元JAS機の扱いをみていると悔しくて…、
そして、その挙句に11月迄にA300B2/B4に続き、真っ先に海外へ全機転売。
なんか、悔しい思いが一気に噴き出してきていいおっさんなのに涙が止まりません。
おかしいですよね。
でもこれが素直な気持ちなのです。
(“J○Lセー○ス”の事です。)の王様対応。
赤色チームの人達に言いたい事は沢山あります。
でも、もう、何も言いません。
やはりな人達だったから・・・。
ただ、なんか寂しくて、
なんか悔しくて、
なんかやりきれなくて、
気持ちがイッパイになってしまいブログを書いてしまいました。
日本中のいってらっしゃいをのせて
~GOOD SPEED ALWAYS~
・・・・ひとつの時代が終わります。
そして・・・・、
理由は「ありがとう」を告げる為に・・・、
たぶん、この秋1日だけ たびあん は JA8375ヲタク になります。
さらにいうなら、未だに俺様体質のイカレホールセラー
そして業界人なら誰もが予想して、案の定失敗しバンザイしたJAL。
結局、利益率の少しでも高い国内路線が欲しかっただけ、
表向きはJALのいいところ、JASのいいところを活かす対等な統合だったはずなのに、
(その当時の熱いJAS航空券担当の画像)

