仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法 -2ページ目

仕事をしながら、年10回 海外旅行に行く方法

海外旅行に行き続けると、どんな心境になるのかを試したいのもあり、
週末や連休、まとまった休みの日に日本脱出するようにしてみました。

3年位前だろうか、転職してきた同僚と話をしていたら、なんと彼女と母は2人でキリマンジャロに登ったことがある、と言うではないか。一般の人でもキリマンジャロに登ることができるのだ、と初めて知った。そこから僕もキリマンジャロに登りたい、と強く思うようになった。

(「世界の果てまでイッテQ!」でイモトがキリマンジャロに登っているが、その頃僕は知らず、キリマンジャロに行くことが決まってから映像を見て、イメージトレーニングをしたりした)

キリマンジャロ夜明け

初めての海外登山でキリマンジャロに登るのも心配なので、まずその年はマレーシア領のキナバル山(4,095m)に登ることに決めた。そのときのブログはこちらから。

それから、日本でもいろいろな山に登るようになった。例えば、赤岳、槍ヶ岳、北岳、富士山、西穂高(独標)など厳冬期も含めて登った。

今回のキリマンジャロ登山では、キナバル山では12時間くらい歩いたことや、槍ヶ岳で豪雨の2日間の体験が活きた。それでもキリマンジャロに登るために絶対に必要な経験か、と聞かれれば、そうではない。登山経験があって計画を立てれば誰でも行ける、と思う。
こんばんは、僕は今タンザニアのモシという町にいます。昨日、アフリカ大陸最高地点のキリマンジャロ山のウフルピーク(5,895m)に登頂しました。

キリマンジャロ

ここでは、キリマンジャロに登ろうと思い立ってから、どのように計画したか、また実際はどのように実行できたか、について書きたいと思います。現地のツアー会社を使いましたが、個人旅行として自分一人で手配しました。海外登山を計画している方が、必要な情報を得て、ウフルピークに立てるように順を追って書きたいと思います。

ウフルピーク

ちなみに、僕はこのゴールデンウィークを使ってレモショルート(テント6泊)で登っただなので、一般的な登山客としてどのような情報がほしいか、ということを理解しているつもりです。また、体験談と現地で集めた情報を載せ、特定のツアー会社を勧めるようなことはいたしません。
僕は海外旅行に月1回でかけます。
仕事の知り合いから、海外に出かけるときにどのように両替するか聞かれました。

そこで今回はお得な両替方法について書きたいと思います。
(すごく頻繁に海外に行く方にとってはいい方法です)

1ドル札

<通常の両替方法>

まず思いつくのは、日本の空港での両替ではないでしょうか。
空港での両替には次のようなメリットがあります。

・さすがニッポン、ぼられない
・綺麗なお札が多い、海外では破れていたり、汚いお札も多いです
・便利な小額紙幣をくれる、海外では100ドル札などを出してもおつりがない
 また、海外の両替で小額紙幣が欲しい、とお願いするとイヤな顔をされます

しかし、日本円を外貨に変えるときの効率はよくありません。

例えば、米ドルが120円だったとして、円から米ドルにするときの差は
2円程度になります。100万円を両替すると、16,000円も目減りしてしまいます。

マウント・レベニア

<FXの活用>

そこで頻繁に海外旅行する人が使うのが、FX(外国為替証拠金取引)です。

FXは外貨を売り買いし、為替差益を利用して設ける投資のひとつです。
FXユーザが取引しやすいように、円で米ドルを買うときの差がわずか1銭しかありません。

FXで100万円を米ドルにすれば、320円ほどしかかからず、
空港で両替することに比べれば50倍ほどお得です。

しかも予め米ドルが安いときに、少ない証拠金(円)で米ドルを購入すれば、
後々外貨が高くなってしまっても、安く大量に買った米ドルを
旅行先で使えるのでさらにお得になります。

正直なところ、手数料なんて為替相場の変動に比べれば微々たるものです。
クレジットカードでその時のレートで払うのもよいですが、安く買った外貨現金を
使うのが一番だと僕は思います。


<米ドルを現金化>

さてさて、FXではデリバリー(現物受渡決済)といって、保有している
建玉を外貨に換えることが可能です。手数料は8,000ドルの場合は
1,600円ほどになります。

さらにその外貨を日本の銀行口座(外貨口座)に送金できます。
手数料は2,000円ほどになります。

そして、日本の銀行から米ドル現金として引出すことが可能です。
手数料は1,000円ほどになります。

このようにFXで外貨建玉をつくり、デリバリーし、外貨口座へ送金して
両替をすると、先ほどの例であれば、100万円当たり5,000円もかからないので、
空港での両替よりも1万円以上もお得です。

しかも銀行では、新札で小額紙幣を含むパッケージを用意している
ところもあり、その点でもお得になります。

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ゲールフェース

南アジアの旅行でもホテルなどでは、現地通貨ではなくて
米ドルでの支払いが必要になったりします。もちろんアメリカ旅行でも
クレジットカードは利用できない場合もありますが、現金であれば
どこでも受け入れてくれます。

このように、頻繁に海外へ行く人はFXを活用することで
お得に両替してみてはいかがでしょうか。

皆さまよい旅を。
ロシア ウラジオストク最終日、朝から雨で予定もないのでブログを書きます。

シベリアに来たのは20年ぶりくらいだろうか。以前はロシア経済危機のさなか、
バイカル湖のほとりのイルクーツクを訪問した。街灯はあるものの明かりは
灯っておらず、暗く沈んだ街だった。ホテルのベッドは人型に硬く凹み、
コーヒー2杯が10円にも満たなかった。不良少年がタバコをせがんでくる。
以前のシベリアはそんな感じだった。

ところが今回ウラジオストクの空港に着いた瞬間から、雰囲気が明るくなっている。
建物は新しく、人はいくらか陽気になっているように見える。ウクライナ問題で
欧米から制裁を受けているが、そんな様子は一見して感じられかった。

ウラジオの街並み

いっぽうで、この一週間ほどウラジオストクに居て、ロシア人と関わる中で、
最初に感じた明るい雰囲気とは相容れない、ロシアの奥深さが感じられる
ようになってきた。


僕にとってロシアは不可解であり続けている。なかなか中国と極東ロシアを深く
理解することはできないでいる。ひとつには言葉が通じないこともある。

言葉の問題だけでなく、ロシアのほうも極東において自分自身の
アイデンティティを保つことが大変なのかもしれない。


<ウラジオでナンパ?>

ウラジオストクは夜中に一人でふらついても危険を感じることはない。
週末にぷらぷらしていたら、たまたま英語のできるロシアの男と出会って
カラオケ(KAPAOKE)に行く事になった。

カラオケ

ウラジオでは、店内禁煙がしっかり守られており、タバコを吸いたい人は
入り口まで出てきて吸うことになっている。(日本に比べ女性の喫煙率も高い)

僕が通りをぷらついていて、たまたま挨拶したら英語を話すロシア人だった。
ここのカラオケの客だから一緒に遊ぼうぜ、ということになった。

立ちはだかるセキュリティガイズをパスして、お店に入った。
ラウンジタイプのカラオケ店で、客が好きなときに歌ったり、
踊ったりするようになっている。

僕と彼はカウンター席に座った。彼の名前はウラジミール君。
週末はいつもここに遊びに来ているようだ。建設会社のエンジニアでバツ1。

う~ん、それも彼が若いときに稼ぎが悪く、そのせいで離婚されたとのこと。
ロシアの女性は、お金に厳しいところがあると思う。前にロシア人の友人に
男のタイプを聞いたら“まじめに働く人”という回答だった。。。

カラオケで面白いことに気づいた。あれだけロシアと米国が
にらみ合っているのに、ウラジオの人たちは英語の曲を歌い、踊っている。
若い世代は、ぜんぜん気にしていないみたいだ。

店内は女の子同士で来ている人が多く、ウラジミール君からいろいろな人を
紹介してもらった。中にはウラジミール君の元彼女もいて、今でも二人は
仲よさげだった。彼女は今のボーイフレンドと、のりのりに踊っている。

さてさて、さすが独身の週末。ウラジミール君は店内に気になる
女の子2人がいるらしい。ナンパしに行くときは、僕も加勢(?)
するからと言い含めてあった。

ところが、彼はシャイみたいで、ビールを一杯飲んだら、このこの曲を
歌い終わったら、と言っていっこうに行動に出ようとしない。

そうこうしてたら、お目当ての彼女たちは別のお店に移ってしまった。
残念。。。


<セキュリティガイズ>

ロシアを特徴付けているのはセキュリティが厳しく、監視が多いということ。
ほんとうにセキュリティガイズが多過ぎる。

デパートに入るにもセキュリティを通過しなくてはならず、空港でももちろん
駅や電車の中でもセキュリティがいる。電車の中と言えば、監視カメラもあり
空港を街を結ぶ電車では、注意喚起のためのモニターも設置されている。

極東でテロなんておきそうもないのだが、これはロシアの雇用対策なのだろうか。

面白いのがセキュリティガイズは、きまって短髪の「ロシア人」顔のマッチョ
だということだ。プーチン大統領の顔に似ているといえば分かりやすいだどうか。
これだけ、他民族国家にも関わらず、アジア人のセキュリティは全くいない。

それでも、シベリアはのんびりしていて、モスクワにいるような
パスポートチェックの警官には見かけなかった。

お店の陳列
まるで昆虫標本のような、商品陳列

<右側通行なのにクルマは日本の右ハンドル>

南アジアのミャンマーと同じ。ロシアは本来、右側通行で左ハンドルが基本なのだが
あまりにも日本の中古車が多くて、実質、右ハンドル車が9割くらいになっている。

これだけ日本車が多いのだから、中古車輸入税値上げに対する反発も理解できる。
ウラジオの街をあるいていて、“ピピーン、ピピーン、左に曲がります!」という
日本語のアナウンスがトラックから聞こえるので、焦る。。。

たしか、新潟のパキスタン人が状態のよい日本車を極東に輸出していると聞いた。


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セダンカ駅近くのビーチ
休日ビーチでのんびり

ロシアはヨーロッパなのだろうか。ウラル山脈から東はヨーロッパではない
とも言われる。しかしウラジオストクは極東において「ロシア」であろうとしている。
それだけに、「ロシア」を理解できていない僕には、極東ロシアに興味がでてきた。

日本からも近い。今まで、札幌、新潟、ソウル、大連、上海、台湾、那覇と訪問した
ことがあるが、そこにウラジオストクが加わって、環日本海経済圏と東シナ海の様子を
よりよく感じることができてきた。


ロシア(と中国)は近いのに奥が深い。今回の旅行でロシア人とのコンタクトが増えたので
また近いうちに極東ロシアを訪問したいと思う。そしてモンゴルにも再度訪問したい。


<番外編>
ロシアはいい加減なくせに融通の効かないところがある。
一度、“ニェート”と言われたら、交渉しても覆ることがほとんどない。
仕事の関係でスリランカに行った。
それから休日はスリランカ人の友人ご夫婦と再開した。


前回、スリランカを訪れたのは2002年と2007年のことだった。
最後の訪問から7年が経ち、タイガー(タミル・イーラム解放のトラ)との内戦も終わり、
経済復興に沸くスリランカは、僕が知っている国とは違った国になってしまっているのでは
と心配しながら空港に着いた。

しかし、スリランカは相変わらず、のんびりしていて、
僕の知っているフレンドリーな熱帯の島だった。


通勤ラッシュ
海岸沿いを走るコロンボ市内への通勤列車

<深夜の空港からコロンボ市内へ>

バンコクから深夜便でスリランカの都市コロンボに入った。

空港を出るとすかさずワンボックスカーのタクシー運転手が売り込みに来る。
スリランカの物価も通貨価値も忘れてしまったので、とりあえず値切りたいと思った。
しかし、運転手はなかなか値下げしないので、

“わかった、誰か相乗りしてくれる他の旅行者を探すから、待っててね”

と言って空港内に戻った。しかし、たいていの日本人はホテルが出迎えに来ていて
その他の外国人はコロンボ市内には行かない、という。空港のタクシーカウンターの人も
声をかけてきたのだけれど、よいプライスではない。僕はこのくらいの金額でコロンボに
行きたいんだ、と伝えると、

“しかたがないな、それじゃあ別のタクシーを手配してあげるよ”

といってある人を紹介してくれた。その人に連れられて外に出ると、
果たして世界的ホテルチェーンのロゴの入った車が迎えてくれた。

おそらくホテルから空港まで旅行客を乗せてきた車で、
カラで市内に帰るよりは、誰かを乗せてお小遣いを稼ごうということなのだろう。

このいい加減さと融通のきく感じはまさにスリランカだ。

そういえば、12年前も深夜に空港について、タクシー選びに困ったけれど
そのときは機内で知り合った松下電器の方に一緒にクルマに乗せてもらった。
学生だったあの頃が懐かしい。


<ゴールフェイスグリーン>

仕事も終わって夕暮れ時に、海岸沿いの公園、ゴールフェイスグリーンを散歩した。

7年前も同じ場所に来たけれど、様子がだいぶ違っていた。以前は、タイガーの
テロが頻発していて、アメリカ大使館前は通行禁止になっていたり、政府関連施設に
装甲車が停まっているなど物々しかった。

ゴールフェイスも、夕暮れ時は海岸からテロリストが上陸することを恐れて
ヘリコプターが巡回していた。インドの宝石商人は、スリランカでのビジネスが
やりにくくなった、とこぼしていた。

ところが、今は家族連れが多く、凧揚げをしていて、雰囲気が明るい。
内戦も終わって経済が発展し、公園に来ている人たちは幸せそうに見えた。

本当によかった。これは7年前とは大きく変わった点だ。

ゴールフェイスグリーン


<津波の被害地へ>

12年前僕は、カルータラ近くの海岸で寝起きしていた。

日本に帰国した後に、ゴールやセイロン島の南西海岸に津波が襲った。
それをニュースで知ったのだけれど、カルータラの人たちが無事かどうか
確認できなかった。

今回、コロンボから電車でカルータラに向かう途中、以前泊まっていた
ゲストハウスの看板が見えた。まだ無事に営業しているらしい。

カルータラに着いてお寺にお参りした後に、そのゲストハウスを訪問する
ことにした。バスとトゥクトゥク(昔はスリーウィラーと言ったはずなのだけれど)
を乗り継いで、果たしてゲストハウス“GREEN SHADOWS”にたどり着くことができた。

出迎えてくれたのは若いボーイだったが、12年前にここに来たんだよ、
と伝えると、当時のことを知っているオーナーを連れて来てくれた。

僕はそのオーナーを知らなかったけれど、オーナーの弟や親戚は元気なようで
当時の彼らの写真を見て懐かしいといっていた。どうやらここら辺は津波の被害も
少なかったようだ。ずっとどうなったのか心配だったからそれを聞いて安心した。

僕はゲストハウスでランチをとった後、バスでコロンボに帰った。

バスはいつもどおり、インドTATA製のバリバリ排気音のするクルマで
運転手はめいっぱいスピードを出し、ぎゅうぎゅうに混んだ社内でもまれながら
コロンボ3のホテルに向かった。何もかもが12年前と同じだった。

ビーチ

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スリランカは確実に発展している。でもまだ内戦が終わったばかりで
本格的な開発が行われる前の状態だと思う。交通機関もあまり変わっていない。

事前にバンコクの発展を見てきたばかりだから、まだスリランカのそれは途上で
少し安心さえする。でも、後12年経ったら、またコロンボは変わってしまうんだろうな。

とはいえ、またコロンボに行かなくてはならないかもしれない。
しばらくスリランカに注目したい。