表参道は杉並木に囲まれ、清らかな空気に包まれた東照宮へと続く参道
石鳥居の手前は遠近法を利用し、広く見せるように造られています
東照宮の表玄関
高さ9m、柱の太さ3.6mもあり、江戸時代の石造りの鳥居の中では最大規模
扁額の大きさは畳一畳分もあります
石鳥居の間を覗くと表門が左側に寄っているのがわかります
慶安3年(1650年)、小浜藩主酒井忠勝が寄進
後に焼失し、文政元年(1818年)に再建されたもの
高さ36mの塔の内部には、直径60cmの芯柱が天井から吊り下げられています
仏塔の五重塔は垂木が並行の和様が通例
ここは初層から四層は和様だが、五層目だけ
左右に睨みをきかせた仁王像が立つため「仁王門」とも呼ばれています
門に施された漠、麒麟、像、虎など82の木彫りの彫刻も見応えあります
毎年5月の春季大季にそなえ、市民が栗石を一つずつ返してその下にあるゴミを取り除いています
江戸時代から続く「栗石返し」という行事で、境内がいつもきれいなのは、町の人々のおかけ
下神庫と中神庫の間にある小さな建物がトイレ
畳敷きの中に穴があり、3m下に水が流れる仕組みになっていたそうで
水洗式トイレの始まりになったとか
現在は使われていません
軒下に狩野深幽が資料をもとに想像で下絵を描いたという「想像の像」の彫刻があります
神馬がお勧めする馬屋
猿の人生を表した8枚の彫刻が飾られています
左から右へ話が展開し、人生が論されている
母猿がこの子は無事に生きていけるかしら・・・と子猿の将来を心配しています
神馬がお勧めする神厩舎に飾られた全8枚の彫刻のうち2枚目
判断力のない子猿時代は、「悪いことは見ざる、言わざる、聞かざる」ということが表現されています
悩み多き青春時代
女猿のお腹がふっくら
元和4年(1618年)に九州鍋島藩主からの奉納物
神様に参拝する前に手と口を清める場所
サイフォンの原理で山から水を汲み上げています
廻転燈籠は、寛永13年(1636年)、オランダの東インド会社から贈られたもの
中は写真撮影が禁止されていたので、中の写真はありません
狩野永真安信が描いた絵が焼損し、堅山南風が復元した龍の墨絵の天井画が有名
龍の頭の下で拍子木を打つと「キィーン」という甲高い音が鳴り響き
まるで龍が鳴いているかのように聞こえる
東照宮を代表する豪華絢爛な門
「平成の大修理」の一環で素屋根に覆われていますが、修復期間ならではの展示が見られます
三基の神興が納められた建物
中央が徳川家康、右に豊臣秀吉、左が源頼朝のもんといわれています
国賓に相当する参拝者のみ使用が許された本社の表門
間口3m、奥行き2mと小規模だが、彫刻の数は611体と陽明門より多い
拝殿、神霊を祭る本殿、その2つを結ぶ石の間から成る権現造り
東照宮唯一の猫の彫刻
眠っているように見えますが、斜め下から見ると起きて獲物を狙っているような表情に見えます
裏側にはスズメの彫刻があり、猫が眠り、スズメが安心して遊べるような
東廻廊の蛙股にある東照宮唯一の猫の彫刻
江戸時代の伝統の名工・左甚五郎の作品といわれています
体長は約21cmと意外と小さい
杉に囲まれた神秘的な雰囲気が漂います
奥宮まで207段あり、徒歩約10分
各段は一枚岩
柵も一枚の岩を掘って造られています
聖なる場所へ向かうパワースポットになっています
奥宮へ続く石段の各段は一枚岩
さらに柵も石を組んだものではなく
黒漆仕上げの拝殿
家康の墓所
家康の柩が納められている宝塔、黒漆仕上げの拝殿、鋳抜門から成ります
宝塔は建立以来、一度も開けられたことがありません
宝塔には家康の分骨された骨がおさめられていると言われています
10時35分 日光東照宮発