今日は終戦記念日である。
毎年この日が来ると
祖母が語ってくれた戦争の話を
思い出す。
いや、もっと詳細を、記録をしていれば
よかったなあと後悔するんだけど。
だってネットで調べても
その情報が出てこない。
祖母は昭和4年生まれだ。
生きていれば91歳か。
神奈川県の平塚で空襲があった時、
祖母の家からは平塚方面の空が
焼夷弾で真っ赤だったと聞いた。
畑仕事をしていた時にB29が飛んできて
空襲警報を聞いて畑の溝に身を隠した。
B29はダダダダと弾を打ち込んできたそうだ。
その時に誰か怪我をしたと言っていたような。
(ああうろ覚えの自分が悲しい)
祖母が亡くなり、
母と伯母の三人で部屋を片付けていた時に
祖父の遺品が出てきた。
祖父は母が高校生の時に亡くなっている。
母も見たことがない祖父の履歴書があった。
履歴書には母が知らなかったことが書かれていた。
祖父は終戦直前に徴兵されていた。
そして同じ場所に一枚の絵葉書があった。
一番右には「大日本帝国」
一番左には「検閲済」の印。
◯◯(祖父の名前)君御手紙有難う
十月三十日の日に純良と憲一と三人
の手紙を一緒に受け取った
◯◯君手紙を読んでいると知らず
知らずの内に在りし日の自分の
平塚農学校へ通って参た時分
の事が思い出されます。
学科の事、実習の事が、、、
又旧師の事が思い出されて
なりません。
でも今は皇国軍人の一員として
及ばず乍らも第一線に立って
参ります。通学していた自分が
一番楽しき時代だったね
祖父の兄からの手紙だったらしい。
出陣前に病気が判明して、
第一線からは外されたそうだ。
「通学していた自分が一番楽しき時代」
この一文を読んだ時に、
喉の奥がつままれる思いがした。
水害をはじめとした自然災害、
そしてコロナウイルスの蔓延、
早く人々が心穏やかに暮らせる日が
来るよう今日は祈ろう。