【子どもと一緒⭐︎悩みを遊びにかえる】
岩手・青森
食べトレ・シニアインストラクター
おなかサロンPonPon代表
堀米裕子(ほりまいゆうこ)です。
腸セラピーをするに至ったきっかけをくれた
祖母から学んだことを書いています。
全⑤回の③回目です
前回までのブログはこちら↓
遡ること13年前。
私は、おばあさんを自宅介護する生活が始まりました。
鍼灸や病院に付き添ったり
おばあさんにとっての夢の国
「スーパー:ビッグハウス」に行ったり。
しんどそうにしている時もたまにありましたが
元々、気が合うこともあり
おばあさんと私は
たくさんおしゃべりをしながら
楽しく過ごしていました。
リピート再生されるかのように繰り返される
おばあさんの話も
なんだか好きだったのでしたwww
そして
数ヶ月が過ぎた大晦日。
隣の部屋に寝ていたおばあさんが叫んだのです。
「ゆうこ〜!!(私の名前)」
そこには
痛さに耐えられず苦しむおばあさんがいました。
慌ててお隣の県にある八戸市の病院へ向かい
…即入院。
そして、忘れもしない入院4日目のこと、、、
ご家族に話がありますとのことで
先生から呼び出しがありました。
本来は、母や父の役割かとも思うのですが
なぜか私一人で行くこととなり
先生の部屋へ。
そこで言い渡された言葉は
「ガンです。余命3ヶ月です。」
でした、、、。
座っていたイスから落ちそうになって。
確実に、空間がゆがみました。
泣き崩れている私に
先生がティッシュをくれたことだけ覚えてる。
そのことを信じたくなかったのかな…
家族に口止めされていたので
姉や妹にも真実を言わずに過ごした
余命宣告直後から
看取るまでの時間は
今考えると
23歳の私には荷が重過ぎたよね、、、
おばあさんが、、、あと3ヶ月、、、
信じたくない気持ちと
きっと克服してくれるって気持ちが
ぐちゃぐちゃになったけれど
とにかく治ることを信じて
生活することにしました。
ちょっとして
地元の病院へ移動。
看護師さんはケアしてくださるものの
たくさんの患者さんを見ておられるので
私もほぼ病院に張り付いて
床擦れがおきないようにちょこちょこ体制を変えたり
入れ歯のお手入れ
新聞を一緒に読んだりして
過ごしていました。
あの当時
そのまんま東さんが
宮崎県知事になったニュースに
おばあさんと二人で
びっくりしあったっけなぁ
病院にいる時間が大半を占める毎日が続き
介護時間も必然的に多くなりました。
そして
自宅でフライパンを持とうとしたある日のこと。
私は、手が“カクン”となって
フライパンを持つ力がなくなっていました。
その理由は、介護による腱鞘炎でした。
正直、びっくりでした。
だって、割と軽いフライパンだったから。
実は、私の体も悲鳴をあげていた。
病気の方は
本当に辛いことがいっぱいだと思う。
それを一番側にいて
一番わかっているからこそ
介護する側も大変だなんて
考えちゃいけないような気持ちに
きっとなっていた。
でも
介護する家族だって
支える側だって
めちゃくちゃがんばっているんだってこと。
大切な家族が弱っていく様子を見ているのって
とってもこころが苦しいってこと。
一生懸命に寄り添っていても
“家族が介護するのは当然だから” って
家族から
「介護してくれてありがとう」って
いってもらえない人が多いことも
この経験は、私の財産となりました
介護を経験して思うこと。
“一人の健康” は、それだけでみんなのためになっている。
"あなたの健康"は、みんなの役に立っている!
病気になったっていい。
そこから学ぶことが必ずある。
でも、心身が健康って素晴らしいね!って
改めて思ったのでした。
だんだん動けなくなってきたおばあさんとの残された時間は
また次回『想いの元④』に続きます。
お読みいただきありがとうございました。
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岩手・青森
食べトレ・シニアインストラクター
おなかサロンPonPon代表
堀米裕子(ほりまいゆうこ)
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