●「ごめんね」「いいよ」の効力

 

こんにちは、みどりです。

 

イスラム教徒は昨日、1ヶ月の断食月を終えて、断食明け大祭という祝日を迎えました。

 

この日は決まり文句があってね。

 

「断食明け、おめでとう!」のほかに、こう言うんです。

 

「mohon maaf lahir dan batin」(心からお詫び申し上げます)

 

私が何かあなたにとって失礼なことをしていたり、傷つけたり悲しませたり苦しませたりしていたらごめんね、という意味です。

 

 

そして、こう言われた方も同じことを返します。

 

私も何か良からぬことをしていたならごめんね、と。

 

いやいや、私は何も悪いことしてないから!なんてことはなくて。笑

 

謙虚にお互いに謝って、誤ちを許しあいます。

 

もちろん、本当に心当たりがある場合はなおのこと心を込めて謝ります。

 

断食明けのたびに私もこう言いますが、控えめにいってもめちゃくちゃ素晴らしいんですよ。心がすうううううううっとします。

 

一年に一度、謝罪して許される日。

 

*

 

このあいだ、過食に苦しむ女性の相談にのりました。

 

彼女は若い頃にお母様を亡くしているのですが、ずっとそれを自分のせいだと思ってきたそうです。

 

そこで、お母様にお手紙を書いてもらうことにしました。

 

彼女はお母さんありがとうと感謝の気持ちを伝えるのかなぁと思って書き始めたそうですが、実際に書き終えたものを読むと謝罪の言葉が並んでいたそう。

 

それで、はじめて彼女はわかったんですね。

 

謝りたかったこと。許してほしかったこと。

 

でも、ずっと謝っていませんでした。

 

私のせいでお母さんは死んでしまったのだから、謝って許されるものではない、謝ってはならないと無意識に思っていたのでしょうね。

 

彼女は「なんだか許してもらえた気がする」と言いました。

 

そして、何かずーーーーーーーっと不安だった、それが何かもわからなかった、でも今は心穏やかに過ごせています、と。

 

*

 

彼女のお母様は亡くなっているのだし、許してもらえたなんて気のせいだと思う人もいるかもしれません。

 

だけど、そんなのどうだっていいんです。

 

大切なことは、彼女が許されたと感じたこと。

 

つまり、自分で自分を許したということです。(たとえ他人から許されていても「でもやっぱり私が悪いから、、、」と自分でその許しを受け入れなければ、いつまでたっても許されないです。それが罪悪感につながります)。

 

*

 

私はイスラム教徒になって、この挨拶を年に一度するようになってから、謝って許されることは究極の癒しだと思うようになりました。

 

この日の場合はもれなく「許される」ことになってるのだけど、現実的には他人に許してもらえるか、はたまた自分で自分を許せるかはコントロールできません。

 

でも、いいんです。もう許しちゃえば。

 

さらに、別に年に一度でなくてもいいやんと思い、私は毎晩、寝る前に自分に言っています。「ごめんね」「うん、いいよ」って。

 

イライラして娘に当たった自分、些細なことで拗ねた自分、すると言ったことをしなかった自分。

 

全部思うようにできたらいいけど、未熟者ゆえそうできないこともたくさんあります。だから自分や相手に対してごめんなさいを言います。で、ここがめちゃくちゃ大事なんだけど、自分で自分を許します。いいよって。

 

最初のうちはただ機械的にいいよと言ってました。

 

いやいや、やっぱそれはあかんやろと思う気持ちを振り切って、許す。とにかく許す。そうしてから寝ます。

 

試しに今晩、ごめんね、いいよと言ってから寝てみてください。安眠できるよ。