今時は、「空前のパンケーキ時代」
そう言ったってちっとも不思議じゃない。
むしろ、納得してくれる人の方が多いだろう。
とにかくパンケーキを定番商品にすれば売れるという社会現象。パンケーキ専門店は表参道を中心に普及。そのため、パンケーキは流行の最先端の街の代表的な食べ物となり、彼らはいつしか他の街にもじわじわと進出して行った。
今、街にパンケーキ専門店がないなんてところはないのではないか?(少なくとも専門店でなくても、パンケーキはを出す店はあるはず)
と言うパンケーキ理論を私は勝手に持っている。
こうして、パンケーキは様々な土地を植民地とし、ヤングな女子たち、また甘党男子をも捕虜としていった。こんなことを言うとパンケーキがまるで悪者みたいなのだが、彼らはほのかな甘い香りでそっと私たちの嗅覚をくすぐり、その香りと食感で舌をそっと包み込んでくれる。なので、何も捕虜にするなどという乱暴な言葉を使う必要はなかったかもしれないが、私が伝えたかったのはそれくらいパンケーキが強い存在になったってこと。
彼らは、店舗によっても様々で、あるものは高々とホイップクリームで飾られ、あるものは口の中でふわっと消えるような生地のもの、そして写真映えするように可愛く盛り付けられたもの。もうこれは、パンケーキの域を越えていると思われる。
私は非常にパンケーキが好きだ。とてもとても好きだ。なので、話題になったパンケーキは飛びつくように行き食べ歩いた。それらは、その店ならではのこだわりもあり、かつ見た目もとても可愛らしい。店内もオシャレで、写真をパシャパシャと撮る女の人も多い。それもそのはずだろうなぁと思いながら、まあるいパンケーキはを見つめた。
さて、食べよう、そう思った瞬間、ふと悲しくなった。
ほくほくのまあるいパンケーキに小さく空いた空気穴。まだパンケーキがこんなに有名になる前のことを思い出した。パンケーキは、オシャレな食べ物という代名詞ではなく、彼らが素朴な存在であった時。1500円や2000円という値段ではなく800円程で食べることができたであろう時代。
あぁ、素朴なパンケーキが食べたい。そう、思った瞬間が確かにあった。
写真を撮る音も、かわいい〜と甲高い声を上げる女の声も、ホイップクリームも、たくさんのフルーツでき飾られたふわふわのパンケーキも、
私の前から一瞬なくなり、白い空間がぽっかりとできた。その白い空間は空気穴のくぼみ。
もう、素朴なパンケーキを出すお店はなかなか出会えない。いやないのではないかと思っていた。
だが、私は先日出会ったのだ
私が求めていたパンケーキを出す店が、、、
それは長谷にある「カフェ坂の下」
小さい頃、ホットケーキが朝ごはんだと心が踊ったものだ。目覚めた瞬間に、つやめいた固形バターを、コツリと黒い鉄板に落とす。
プツプツとバターが合図を鳴らせば、白いとろりとした液体をそっと流し込む。完成に近づくほど芳ばしいバターのけむりがもくりもくりと出る。
薄っぺらいそれをさっとひっ繰り返す。
シンプルにバターで食べるのも良し。だか、やはり相棒はメープルシロップだろう。それをかけ頬張る。
ただのホットケーキミックスなのに、なぜあんなにも美味しい記憶の中に入れられているのか。
色で例えるならやさしいクリーム色の記憶のようである。
ホットケーキミックスなのだから、味は画一的だったであろうが、私にとっては格別であった。
その記憶が、ここの扉を開けると頭の奥底から引っ張り出された。
「重くなっておりますのでそっとお開けください」と書かれた扉。
店内には、めいいっぱい朝陽が降り注ぎ、窓から見える坂の下海岸の水面が眩しい。
席に着くと、これは、昔のミシン?なのだろうか
下に取り付けてある板が動く。カタカタと音がなり、「よく来てくれましたねえ」と労いの言葉に聞こえる。
私たちは海が見える窓際の席に腰掛け、
メニューを拝見!
「プレーンパンケーキ」「チーズパンケーキ」「抹茶パンケーキ」などとシンプルな名前のメニューが並ぶ。
私たちは、チーズパンケーキと、季節限定のリンゴパンケーキを頼んだ。
待っている間に、メープルシロップの入った白い小さなポットがことりと置かれた。そっと嗅いでみると甘すぎず、控えめな香りが広がる。
朝から何も食べていなかったので、パンケーキがとても待ち遠しかった。それと同時に、朝からパンケーキが食べれる幸せを噛み締めた。
まずやってきたのは、季節限定のリンゴパンケーキ
蜜漬けにされたリンゴのコンポートが上にこんもりと乗っている。上には小さな花が飾られ、赤いポットにはキャラメルが!
このキャラメルを上からかけると、花がしぼみホイップクリームがみるみると崩れる。
あぁ、とろけるわ、とろけるわ。
しかし、私は甘すぎるホイップクリームをいつも残してしまうので今回は恋人と半分にすることにした。ところが、ここで問題が一つ。
このホイップクリーム口当たりがとても軽く、しゅわりしゅわりと口の中でなくなるのだ!なので全く重くなくパクパクと食べれるのである。半分こにする必要がなかったかと知れないと思い始めた笑。
肝心のパンケーキはというと、もっちりと焼き上げられているため、歯ごたえがある。そしてゴロゴロとしたリンゴの食感が楽しい。
味は、シンプルなプレーンだが、派手じゃないからこそ素材の味が引き立つ。
生地が柔らか過ぎないので、噛んで味わう。噛むと広がる卵とバターの繊細なこの甘み。可愛らしい見た目なので柔らかいかと思うが、これが「私を見て、感じて」としっかりと自我を持つパンケーキである。
時間が経つほどリンゴの蜜とホイップクリームが喧嘩せずうまく生地に染み込み味がささやかに変化する。
あぁ、こんにちわ。私の胃へおかえり。
そう言って、胃の中でたっぷり愛でてあげたい。
続いてがこのチーズパンケーキ
なんと!大振りの鮭のようなベーコンがパンケーキを覆い尽くしているではないか!
ナイフを入れると表面のチーズがパリパリと砕け散った。熱々のまま口に放り込むと、ほくほくと生地が踊り口の中でチーズがとろける。
見事なまでに、素材の味が生かされている。
ここのパンケーキは、それぞれの素材が互いにうまく混ざり合い、また愛されて作られているのかがよくわかる。
さっくりと焼き上げられた表面にナイフを入れるとカリッと音を立てもっちりとした生地にたどり着く。あぁこれは、大変だ。私が好きなチーズおごげ(カリカリに焼き上げられたチーズのこと。焦げておこげのようになったもの)がついている。
端っこの方にだけある贅沢。パリパリとしたこの食感。焼いた時にできる副産物なのだが、これが好きだ。こいつは、私のチーズメーターを狂わせる。
パンケーキだけでなく、付け合わせのサラダもとっても魅力的だった。ドレッシングが、野菜に合っている。当たり前のことなのだが、これが出来るってなかなか難しい。市販のものではなく調合されたものだと思う。
野菜も、きのこやラディッシュが入っている。ポテトサラダも、カレー風味の惣菜も、キャロットラペも主役級だった。手抜きが一切ない。
こんなにも真面目に食べたことは久々であった。
完食したあと、心の底から思った。
ご馳走様です。と。
忙しい現代人、なにかと「疲れが吹き飛ぶ」なんて言い回しや、お疲れ様のあなたへ」という台詞に飛びつく。私もその一人だ。きっと、私達は疲れた自分が好きだ。そういう自分を甘やかし明日から頑張ろうと希望を持つことが好き。そうして、前に進むんだ。働いて、疲れた自分をえらいと思いたい。
私はそのパンケーキに癒されよう、甘やかされようと思って来たが、気がついた。
静かにきらめく海が広いこと、古い民家が語る物静かさなこと。パンケーキの柔らかな香りのこと。
忙しい、疲れたを口癖にしていたこと。忙しいという言葉を言ううちは、まだ未熟であること。
だって私がいくら忙しくてもここにある海と古民家とパンケーキは変わらない。
焦らなくていい、焦らなくていい、
このパンケーキのように、静かにずっしりと生きることを、ちょっと忘れてたかも。
そんなことを思いつつ、あと3日後には私はまた忙しく飛び回り疲れたと言っているのだろうか。
そんなことを思いながら、微笑んだ午前11時の朝ごはん。