【産業保健の歴史】

 

今回は、産業保健の歴史・ストーリーについて、歴史的な背景を見ていきます。

 

「歴史はめんどくさいしとりあえず飛ーばそ!」

と思ったあなた!

ちょっと待ってください🙇

確かに歴史はめんどくさいし、なんだか暗記科目のような気がしますよね。

 

分かります。私も学生の頃は歴史が一番嫌いでした。

なぜならただの暗記科目のような感じがしていたからです。

歴史なんて気になったら調べればいいんじゃない?と思っていました。

 

でもある時を境に気がついたんです。人間なんて考えていることは数十年経っても同じだなって。

しかも、ベテラン産業医と話す時の話のネタにもなります。

 

そして、産業保健の歴史やその背景について知ることで、現在の法律の流れの理解が深まる!

それだけではなく、「歴史は繰り返す」という言葉があるように、これからあなたが活躍する産業保健の未来を見ることが出来るかもしれない。

 

今回の記事をサラッと見ることで、産業保健がより身近な存在になっています😊

(ちなみに歴史が一覧になったものは、調べたらすぐに出てくるので、一覧が気になる方は是非サクッと検索してみてください。「産業保健 歴史」で検索したら出てきます。)

 

 

 

 

 【むかしむかし、たくさんの工場が生まれました🐢】

 

 

なぜ労働者のことを守る法律がたくさん制定されているのか、なぜ産業医を始めとする産業メディカル職が必要なのか。それを知ることで、私たちが産業看護職を目指す理由がより明確になります。

 

反対にこの根本が分からないと、産業看護はメンタルヘルス支援だけなんだと思ってしまうかもしれません。役割の背景を知ることは、産業看護職が1人の職場になった時に立ち返る拠り所となります。

 

 

明治時代の日本のスローガンにはこんなスローガンがありました。「殖産興業」

 

 

なんだその四字熟語は!

 

これは、「産業を盛んにして国の力を取り入れよう!西洋の知識や技術も取り入れよう!豊かな国にするんだ!」という意味が込められています。いわゆる国策です。この国策によって、たくさんの工場が誕生しました。

 

鹿児島紡績所、富岡製糸場、八幡製鉄所など聞いたことある有名工場がたくさん誕生。第二次世界大戦前は、このようなせんい工業を代表に、軽工業が盛んに行われていました。

 

労働者保護の視点から、「工場法」が制定。

 

日本に工場が増えたこと、そして第二次世界大戦で青年労働者が戦場へ招集されたこと、武器がたくさん必要になったことが重なり、

過酷な労働を強いられた幼い子ども、女性の労働者がたくさん増えました。

 

 

 

 【産業医の誕生】

 

 

でも、いつから労働の職場に医師や看護職が置かれるようになったのでしょうか?

産業保健師・看護師だから産業医の成り立ちなんて関係ないと思ってしまうと、産業医とのコミュニケーションエラーに繋がりかねません。チームで取り組むことなので、産業医だけではなく、関わる職種の背景を知ることは、効果的なアプローチをすることやより良い人間関係を構築することに繋がります。

 

これが今の産業保健に繋がる、日本で最初の労働者保護の法律が誕生したのです。

そこから1938年、旧工場法の省令が「工場医」を規定。

1947年、労働基準法の省令が「医師である衛生管理者」を規定。

1972年、労働安全衛生法が「産業医」を規定。

 

第二次世界大戦を境に、日本の製造業は移り変わり、重工業が盛んになっていきました。

当時の産業医は、工場労働者の疾病の治療と感染症の予防を目的に必要とされていました。

 

 

 

 

 【産業看護職の採用】

 

では、私たちに関わりのある看護職はどのように産業分野に入っていったのでしょうか?

 

明治後期から昭和初期にかけて工場結核が深刻化しました。そこで、日本産業衛生協会は、「保健看護婦の設置」を項目の一つに掲げ、いくつかの企業で保健看護婦の採用が始まりました。

 

その後、時代の変化に合わせて衛生管理や特定健診・特定保健指導・メンタルヘルス支援などが産業保健分野に必要とされていくことになりました。

 

 

 

まだまだ時代の浅い産業保健。でも、これまで幾多の先輩方が積み上げてきてくれた歴史が確かにあります。過去を知り、先人に感謝し、これからを作っていく。そんな産業看護職に一緒になってきましょう!

 

次回は、ちょっと現実的な話。産業看護職の年収や働き方のメリットなどに迫っていきます。