だいぶ前に読み終わっていたんですが・・・


taberna mii

これでカザンザキス(この本では著者名がカザンツァキになってます)の本は3つ読んだことになりますが、彼は、こういった文学作品を書いていて、楽しかったことってあるんだろうか?創作するなかでの喜びって、カザンザキスにとってはいったいどんなものだったんだろうか・・・?


すごくタイヘンなことを、この作家はいつも書こうとしています。

(メリナ・メルクーリの本を前回読んだときにちょっと登場したカザンザキスの人物像は、意外にも良さそげなおじいちゃん然としていてちょっと驚きました。もう亡くなる間近ではあった頃の様子なので、色々経た上での姿だったのかもしれませんね)

そして、今回のこの本もすごかった。”信仰”について書かれていますから。


私なんかは、色々感じてみようとはしても、今のところはまだ基本が確たる宗教を持っていない身なので、この大作を読んでも宗教的な観点より、むしろ人間観察的な観点から感想を抱いてしまうんですが・・・。それでも簡潔に言ってしまえば、”興味深く”読め、”とてもよい本”でした。


「フランチェスコ、何もそこまで!おお、そうまでするか・・・!」

といった気持ちで、想像を絶する厳しさで自分を律し、聖者となってゆくフランチェスコの進む道を共に辿るように読み進めていったわけなのですが -この私の気持ちを代弁するかのように、逐一意見や感想を述べてくれるフランチェスコと行動を共にするキャラクター、レオーネの存在があることが、この本をとても面白く、また、むつかしいテーマなのに分かりやすくしています。

「ゾルバ」に対して、物語を語る若い「私」の存在があったように、「フランチェスコ」に対して「レオーネ」がいる。

ある境地の極みに達している人物を描くために、俗や世間に根ざしているキャラクターを対峙させて、そのキャラクターが極みの人物について語ることによって物語を構成していくのが、カザンザキスのスタイルの一つなんでしょうね?

所詮私も俗に根ざした凡人なので、こういった文学の構成は好きです。


でも!


その凡人も、ときに息をさらうような言葉を発するんですね。

今回この本の中で一番心をつかまれたのが、神の命に服して危険も空腹も何も顧みずにただ進んでいこうとするフランチェスコが、戸惑うレオーネに「なぜためらうのだ?」とたずねたときに返したレオーネの台詞。


「でも、悲しいことに、神様は私を英雄にも、卑怯者にもしてくださらなかった。そのせいで、私の心はためらうんです・・・」


あちらの境地に行ききってしまいかけているフランチェスコではなく、レオーネだからこその感情の吐露。なんだか、ガ~ン・・・!としてしまいました。



とりあえず3冊カザンザキスを読破して、こうなったら他のも読んでおきたいので、こないだ図書館で検索をかけてもらっているときにスクリーンに出ていた「兄弟殺し」を、今度はリクエストしてみようと思います。

しかし、「兄弟殺し」・・・すごいタイトルですね?カインとアベルの話に関係してくるんでしょうか?