そもそもこのブログを始めようと思い立ったきっかけが、ギリシャ人作家、ニコス・カザンザキス(カザンツァキス?)の本。


ギリシャに縁あって、色々な方々からギリシャに関する情報を頂き、交換することがあるのですが、その都度ブログのコメント欄に、長い感想を書き連ねさせていただくわけにも行かず・・。

忘れ去らないうちに、言葉にしておかねば!

と、思い立たせて私をブログ作成に向かわせたのが、この本


taberna mii   taberna mii


カザンザキスの名をはじめて知ったのは、「キャプテン・ミハイル」が最初。

イギリスに住んでいた時、ギリシャ人の同居人がとても興味深そうに読んでおり、私も読んでみたいなあ、と。

しかし、彼が読んでいたのはギリシャ語での原文。図書館にも書店にも英訳されたものが見つからず、そのときは結局読まずじまい。で、日本の実家近くの図書館でやっと見つけたカザンザキスが、これ。


思っていたよりも読みやすく、面白かった。

でも楽しむための娯楽小説でなく、文学、だな、というのはとても明白。

登場人物たちの、グロテスクなまでに細に入った描写を通し、「書きたい、書かなくては」、と迫り来るカザンザキスの物書きとしての気迫が、もう、どどどっと、怒涛のごとくに押し寄せる感じでした。(下巻は、朝方4時までかけて、一気に読んでしまった。〆切があるのに・・・)


で、カザンザキスは、何を書きたかったのか?


私は、書いてあるとうりに文字を目で追い、あまりよく噛まずに口に入れたときの勢いで飲み下し、そして自分の中に水物だろうが固形物だろうが一気に取り込んで消化するたちの読者なので、一つのお話としてのこの本の内容を、ただ語られたままに捉えるに留まっているんですが・・・こういう風に話を構築し、ギリシャ人であるということ、そして正教徒であるということを、暴き出すように文字にしてしまうカザンザキスの、その制作の原動力、ものを書く理由、を、知りたいなあ、と思います。

トルコの支配下にあった時代を知っていて、クレタ島で生まれて、ギリシャを出て執筆活動をして、正教会からはその著作に対して禁書扱いを受けて、と、略歴から読める事も多々あるのですが、それ以外の部分で、この人の脳の構造を推測してもみたいものです。

たとえば、頑固で堅物なオヤジだったのか、とか、山羊の肉は好きだったのか、などのような。


「He is crazy」

と、私がカザンザキスの名を知るきっかけを作った当のギリシャ人は、にべもなく、この作家の評をこう締めくくりましたが。

「クレイジー」

賛辞として?それとも厄介なやつとして?真意のほどを、改めて聞きなおさなくては。

ギリシャ人にとって、この作家の位置づけはどうなんでしょうね?ギリシャ人として、あそこまでギリシャ人のグロテスクな部分を一言一言書き示されては、読む側も、ものすごくどうしようもない気分になってしまうのでしょうか?


そして私は、次のカザンザキスとして、図書館に、「その男ゾルバ」をリクエストしてきました。ウチの図書館、買うかな?楽しみ楽しみ。


そういえば、ウィリアム・デフォーがイエス・キリストを演じて話題になった「最後の誘惑」の原作も、カザンザキスだった!ああいう、ちょっとわけの分からない系の映画にかぶれていた学生時代に見たのですが、この「キリストはふたたび十字架に」も、映画化されているとか。「ゾルバ」と合わせて、いつか見てみたいです。


でもやっぱり、私が一番読んでみたいカザンザキスは、「キャプテン・ミハイル」なのでした。

しかし、日本語訳は出ていない。英訳を手に入れるか?今も出版されているのか?あってもきっと、高いんだろうな?


ちなみに、私が本当に好きな作家は、ジョン・アーヴィング.。

後は、「メリー・ポピンズ」に「ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズ」に、「ムーミン」に、「あしながおじさん」に・・・(以下、児童書が続く)あんぱんまん




今日のギリシャ語: 「τρελός」 = insane, mad, crazy

είναι τρελός γι' αυτή

he is crazy about her