地震から一ヶ月。写真を載せ感じ続けたことは、哀しさ・つらさ・怖さ。でも大好きな日本のために…
※まずは謝罪です。管理人である僕ですが、最近全くアップができていません。
志の低い言い訳ですが
http://ameblo.jp/taroutabi/ でがんばってアップしてます。もう少し落ち着いたら、たびーるも盛り上げますので、申し訳ありません。以下も僕のブログからの転載です。
希望のない題名かもしれませんが、本当にそう思っています。
3月11日、幕張ベイタウンの職場で、子供達の下校を待っていた時に、その地震は起きた。
道は亀裂ができ、沈み、液状化で泥が出てきて、水が道を覆った。
コンビナート方面は噴火のような煙が立っていた。
液状化とは言葉で知っていたが、目の当たりにすると、これほどまでにいろんなものをグニャグニャにし、ゆがめ、裂くのかと、ただただその恐ろしさを感じた。
その日は東京から歩いて子供たちを迎えにきたお母さんもいた。
また、スーパーやコンビニから商品は消え、テレビはずっと三陸の大津波を流し続けた。
翌日になると、だいぶ全貌は見え始めてきた。
かつてない大災害が日本を襲ったのがわかってきた。
僕の住む検見川でも、西友の壁には亀裂が入り、電信柱は沈んでいた。
海浜幕張の駅前は、店は閉まり、地面は沈み、歩道は盛り上がり、ものすごい砂埃があがっていた。
電車は、今まで知らないくらいの停まり方で、車は大混雑していた。
普段、過ごしてきた一帯は、被害の多い少ないに関わらず、景色が変わってしまったように見えた。
僕は数回に渡り、海浜幕張はもちろん、稲毛海岸や新習志野を歩いた。
大きな被害が出た浦安や佐原にも行った。
壊れるはずのない、いつも当たり前だった景色が、形を変えていた。
幼稚な表現で申し訳ないが、多くの「かたく、崩れない」はずのものが割れたり、ずれたり、曲がったりしていた。
電柱も、家も、平衡感覚をおかしくする光景になっていた。
僕は、様子をどうしても知りたくて、旭市にも向かった。
そして津波という恐ろしいものを、初めて目の当たりにした。
人々は避難し、家は飲み込まれ、漁船は打ち上げられ、そして瓦礫は山を作っていた。
多くのボランティアの人が、旭市を助けるために訪れていた。
何ができるんだろう。
金もない。僕は貧乏な旅ばっかしてる、ヒッチハイカーだ。
ボランティアに行くことも考えた。
実際、これから機会があれば、行こうとも思っている。
でも、僕は千葉県の被害情報を伝えることに徹することを選んだ。
(伝え方がヘタクソで、不愉快に感じた方も少なからずいたようで、申し訳なく思っています)
微力、いや限りなく無力なブログだが、とりあえずいっぱい撮った写真で、何が起きてるのかを一人でも多くの人に伝えることで、今、何をしていいかわからな い人が考えるヒントに、そして今、復興に、ボランティアにがんばってる人たちが少しでも「誰を(何を)助けているのか」が明確になるように、伝える手段に なればと思った。
今は、勢いで物事が動き始めているが、大切なのは、ずっと継続することだと思う。
募金でも、ボランティアでも、半年後、1年後も、テンションを下げずに、ブームでなく、本当の危機として一人一人がとらえるためには、辛く怖く哀しい現実に、今は素直に「沈む」時間も必要なのではないかと思う。
「がんばろう!!」ってのが決して悪いと言ってるわけではない(現にこのブログのトップ画面にも「がんばろう」って書いている)。ただ、今日現在で1万2000人以上も亡くなって、それ以上に行方不明者もいる現実に、い きなり「前に踏み出す」という言葉を、僕はどうしても使えなくなってきてしまっている。まだ使えない。弱いですが、今は本当につらい状況です。
・・・僕は47都道府県をヒッチハイクで旅した。
その中でも、本当に美しく、大好きな場所が、今回の地震で大きな被害が出た、三陸のリアス式海岸だ。
八戸から始まり、とんでもなくきれいな田野畑も、聖地「たろう」(僕の名前なので)の防波堤は崩され、何度も野宿している大好きな宮古も津波でやられ、 ヒッチハイクに苦戦し、町を端から端まで歩いた山田市も、財布を観音様の前に置き忘れた釜石も、それに気付き4秒で車を拾い引き返した陸前高田も、フラフ ラに疲れた状態で飛び込んだ健康ランドのある気仙沼も、漁師さんたちと楽しく話した志津川も、サンマを頭から骨ごと「うまいうまい」とかぶりついていて笑 われた女川も、石巻も、東松島も、仙台もやられてしまった。
また、今年の元旦に訪れた福島第一原発付近は、いまや入ることも危険な地域とされてしまっている。
本当にキレイな海岸線があるところなのに・・・
僕はこの太平洋側の、何度も訪れた旅で本当にたくさんの人にお世話になったが、その人たちの安否もわからない。
無事でよかったが、後輩の家がある名取市もやられた。
今でも、強い余震が東北を中心に、時に千葉も襲っています。
どうなってしまうのか。
そして何ができるのか。
今は、知らなきゃいけない。
前に動けなくても、知ることはできる。
そうすればできることが見えてくるかもしれないし、さらに言えば、さらにいつかもっと大きな災害が起きた時、、誰かを救えるかもしれない。
また、家から近いところだけになってしまっているが、それでも伝えることは、今の僕にできる数少ないこと。
それは続けていこうと思う。
さらには、今月末か来月始めに、三陸に入ろうとも思っている。
何が起きたのかを、どうしてもこの目で見ておきたい。
最後に、今、アップしてる佐原や旭市の飯岡地区のアップが終わったら、冬に大雪に見舞われた湯沢や横手に2月に行った記事も、続きのアップを再開させようと思う。
たびたろうは旅をして、日本が本当に素晴らしい自然と街と人が存在している国ということを、全国各地で感じてきました。
日本が心から大好きです。
少しでも恩返しできたらと思っています。
※まとまりなく、長々した文章ですいません。
志の低い言い訳ですが
http://ameblo.jp/taroutabi/ でがんばってアップしてます。もう少し落ち着いたら、たびーるも盛り上げますので、申し訳ありません。以下も僕のブログからの転載です。
希望のない題名かもしれませんが、本当にそう思っています。
3月11日、幕張ベイタウンの職場で、子供達の下校を待っていた時に、その地震は起きた。
道は亀裂ができ、沈み、液状化で泥が出てきて、水が道を覆った。
コンビナート方面は噴火のような煙が立っていた。
液状化とは言葉で知っていたが、目の当たりにすると、これほどまでにいろんなものをグニャグニャにし、ゆがめ、裂くのかと、ただただその恐ろしさを感じた。
その日は東京から歩いて子供たちを迎えにきたお母さんもいた。
また、スーパーやコンビニから商品は消え、テレビはずっと三陸の大津波を流し続けた。
翌日になると、だいぶ全貌は見え始めてきた。
かつてない大災害が日本を襲ったのがわかってきた。
僕の住む検見川でも、西友の壁には亀裂が入り、電信柱は沈んでいた。
海浜幕張の駅前は、店は閉まり、地面は沈み、歩道は盛り上がり、ものすごい砂埃があがっていた。
電車は、今まで知らないくらいの停まり方で、車は大混雑していた。
普段、過ごしてきた一帯は、被害の多い少ないに関わらず、景色が変わってしまったように見えた。
僕は数回に渡り、海浜幕張はもちろん、稲毛海岸や新習志野を歩いた。
大きな被害が出た浦安や佐原にも行った。
壊れるはずのない、いつも当たり前だった景色が、形を変えていた。
幼稚な表現で申し訳ないが、多くの「かたく、崩れない」はずのものが割れたり、ずれたり、曲がったりしていた。
電柱も、家も、平衡感覚をおかしくする光景になっていた。
僕は、様子をどうしても知りたくて、旭市にも向かった。
そして津波という恐ろしいものを、初めて目の当たりにした。
人々は避難し、家は飲み込まれ、漁船は打ち上げられ、そして瓦礫は山を作っていた。
多くのボランティアの人が、旭市を助けるために訪れていた。
何ができるんだろう。
金もない。僕は貧乏な旅ばっかしてる、ヒッチハイカーだ。
ボランティアに行くことも考えた。
実際、これから機会があれば、行こうとも思っている。
でも、僕は千葉県の被害情報を伝えることに徹することを選んだ。
(伝え方がヘタクソで、不愉快に感じた方も少なからずいたようで、申し訳なく思っています)
微力、いや限りなく無力なブログだが、とりあえずいっぱい撮った写真で、何が起きてるのかを一人でも多くの人に伝えることで、今、何をしていいかわからな い人が考えるヒントに、そして今、復興に、ボランティアにがんばってる人たちが少しでも「誰を(何を)助けているのか」が明確になるように、伝える手段に なればと思った。
今は、勢いで物事が動き始めているが、大切なのは、ずっと継続することだと思う。
募金でも、ボランティアでも、半年後、1年後も、テンションを下げずに、ブームでなく、本当の危機として一人一人がとらえるためには、辛く怖く哀しい現実に、今は素直に「沈む」時間も必要なのではないかと思う。
「がんばろう!!」ってのが決して悪いと言ってるわけではない(現にこのブログのトップ画面にも「がんばろう」って書いている)。ただ、今日現在で1万2000人以上も亡くなって、それ以上に行方不明者もいる現実に、い きなり「前に踏み出す」という言葉を、僕はどうしても使えなくなってきてしまっている。まだ使えない。弱いですが、今は本当につらい状況です。
・・・僕は47都道府県をヒッチハイクで旅した。
その中でも、本当に美しく、大好きな場所が、今回の地震で大きな被害が出た、三陸のリアス式海岸だ。
八戸から始まり、とんでもなくきれいな田野畑も、聖地「たろう」(僕の名前なので)の防波堤は崩され、何度も野宿している大好きな宮古も津波でやられ、 ヒッチハイクに苦戦し、町を端から端まで歩いた山田市も、財布を観音様の前に置き忘れた釜石も、それに気付き4秒で車を拾い引き返した陸前高田も、フラフ ラに疲れた状態で飛び込んだ健康ランドのある気仙沼も、漁師さんたちと楽しく話した志津川も、サンマを頭から骨ごと「うまいうまい」とかぶりついていて笑 われた女川も、石巻も、東松島も、仙台もやられてしまった。
また、今年の元旦に訪れた福島第一原発付近は、いまや入ることも危険な地域とされてしまっている。
本当にキレイな海岸線があるところなのに・・・
僕はこの太平洋側の、何度も訪れた旅で本当にたくさんの人にお世話になったが、その人たちの安否もわからない。
無事でよかったが、後輩の家がある名取市もやられた。
今でも、強い余震が東北を中心に、時に千葉も襲っています。
どうなってしまうのか。
そして何ができるのか。
今は、知らなきゃいけない。
前に動けなくても、知ることはできる。
そうすればできることが見えてくるかもしれないし、さらに言えば、さらにいつかもっと大きな災害が起きた時、、誰かを救えるかもしれない。
また、家から近いところだけになってしまっているが、それでも伝えることは、今の僕にできる数少ないこと。
それは続けていこうと思う。
さらには、今月末か来月始めに、三陸に入ろうとも思っている。
何が起きたのかを、どうしてもこの目で見ておきたい。
最後に、今、アップしてる佐原や旭市の飯岡地区のアップが終わったら、冬に大雪に見舞われた湯沢や横手に2月に行った記事も、続きのアップを再開させようと思う。
たびたろうは旅をして、日本が本当に素晴らしい自然と街と人が存在している国ということを、全国各地で感じてきました。
日本が心から大好きです。
少しでも恩返しできたらと思っています。
※まとまりなく、長々した文章ですいません。