4月29日のライビュは昼の部だったんで、この特報は、友人Nちゃんとライビュ大反省大会(別に反省せんでもいいんだが)をほぼ8時間にわたって繰り広げて、喉からっからで帰宅後、皆さまのツイートで知った。

 

特報が流れたときの地鳴りのような歓声の中にいたかった~。

 

なんにせよ、めでたいよ‼‼‼

 

って、2期を渇望していたワタシらの溜飲もどうにか下がってやれやれな今日この頃なわけなのだが、

 

今更ながら、勇利はなぜ銀メダルだったのか問題、なのである。

 

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実は、OA当初から腑に落ちなかった(今もさ)

 

海外リアクション組も、最終話観終わってすぐ、ほぼ全員が、

「2期だ、やるんだろ、そうだろ」

って口々に言ってたんだが、実際、その時点で2期なんてものは決まってたわけもなく(まさかの新作劇場版だったわけで)、

 

ただ、勇利が2位という結果に、なんか納得できない、わりきれない思いから、物語はまだ終わってないぜっ、2期だ、2期があるに違いないってやみくもに言ってただけだった。

 

少なくともワタシはそうだった。

 

久保先生によれば、SPでユリオが世界歴代最高得点を獲り、勇利がFTで最高得点を上げ、

でも、総合点でユリオに負けるって結末は、もう初めから決まっていたこととおっしゃっていたけれど、

 

2期が想定されていない段階での、その結末の意図はなんだったんだろうか、と思う。

 

つまり、物語が続かなければ、勇利が2位という結末がYOIの結末になってたってことだ。(劇場版で金が獲れるかはわからんが)

 

話がちょっとそれるけれども、賛否両論の結末を向えた

 

『鉄血のオルフェンズ』

 

 

主要キャラ、というか主人公たちが死ぬという前代未聞の結末に、理屈はともあれ、

本気でやりきれない思いを抱いた視聴者は、(ワタシも含め)多かったと思う。

 

ただ、その結末も、もうアニメ制作の初期段階から決まっていという話で、

結末だけみれば、”アンチヒーロー”、いわゆる”滅びの美学”的な物語として、なるほど、そのように非常にきれいに完結したし、

 

主人公といえども、運命には逆らえない現実はままならないという痛烈なメッセージとしても有効だろうと思う。

 

だとしても、正直、あの結末にはカタルシスはない

 

1、2期を通し、悲喜こもごもキャラとともに物語を生きてきたワタシらは、あの結末によって「なぜ?」という疑問符を抱えたまま、物語から放りだされ、行き場のない思いを抱えて悶々とすることになった。

 

そういう物語もあるんだということぐらい、もういい歳のおばちゃんであるワタシもよくわかっているし、『鉄血』の今回の結末に物語的な齟齬があるわけでもない(ぶっちゃけ納得はいかんが)。

 

物語の良し悪しを言ってるわけじゃない。

 

このワタシらのやりきれない思いは、主人公たちの死がもたらし、そして、その死が解消されることがない以上、この思いも解消されることはない。

 

 

YOIに話を戻すと、

 

勇利が結局金メダルを獲れなかったって思いはずっと残る。

だから2期で(劇場版で)挽回すりゃいいじゃないか、ってことかといえば、

 

いや、いや、いや、そういいうことじゃない。

 

勇利があそこで金メダルを獲ってたって、2期(劇場版)への布石には十分なりえた。

 

勇利のEX、エキシビションにヴィクトル登場ってあのデュエットシーンが万一なかったら、正直、アタシはあの夜、大暴れして、TLを大炎上させるか、娑婆を捨ててたかもしれんっ!(そんなにかっ!)

 

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ただ、

 

YOIがスポーツアニメであるより、コーチと選手の絆の物語であって、だから、金メダルは、実際のGPF優勝のメダルではなく、二人の絆のメタファーだった

 

なんてことならば、百万歩譲って合点がいく。

 

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EXでの二人のデュエットに、勇利が2位で終わった腑に落ちなさが少なからず払拭されたってのを思えば、

 

YOIが目指したものは、スポーツアニメのセオリー通りの実際の優勝ではなくて、最終的にヴィクトルと勇利の絆を描くことだったと考えられんこともない。

 

ないこともないけども、実際、あのてんこ盛りで、表彰式さえ駆け足の、激戦の余韻もないありさまだった最終話に、

金メダルが2人の絆のメタファーだったてのを読み取れってのは無理な話だ。

 

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いずれにしろ、勇利とヴィクトルが”GPFで優勝”をめざすことが物語の大きなモチベーションであった以上、

 

結局、あの結末では、スポーツアニメとしても二人の絆の物語としても中途半端になってしまったんではないか、と思う。

 

YOIやガンダムのように、視聴者を引っ張ってきた目的や目標が、ある意味叶わないで終わるやり方は、インパクトはあるけれど、

 

そこまで一緒に生きてきたワタシらにしたら、今までのあの努力や戦いはなんだったんだっ!

つてアニメの世界自体が霧散霧消してしまような空虚さを覚えずにはおれん。

 

正直、最後の最後に放り出されるってのは全くやりきれんぞ。

 

もちろん、能天気にハッピーエンド!ばかりが物語じゃない。

バッドエンドにはそれなりの魅力があり、必ずしも無為ではないけれども、

 

現実はままならないだのリアルを追及した結果だのって理屈で、キャラを死なせたり、目的が成されないっていうんなら胡散臭い。

 

まあ、そんなもんは単なる個人の嗜好の問題だろう、と言われたらそうかもしれん。

 

YOIにしろ鉄血にしろ、あの結末であっても傑作アニメには違いない。

 

でも、人間の生理として、物語に入り込んでいた人なら少なからず、あれら結末へのがっかり感は否めんかったんじゃなかろかと思う。
 

唐突ながら、

 

ワタシはずっと、浅田真央ちゃんが、氷上でのあのノーブルな佇まいとトリプルアクセルって大技を果敢に跳んで、

平昌で復活して丸くて金色のやつ獲るんじゃないかって思ってた(つか、願ってた)

 

彼女自身がそう願っていたかどうかはわからないし、こちらの全く勝手な言いぐさながら、

真央ちゃんのために金メダルを獲ってほしかった。

 

確かに現実はままならない。

 

だけど、

 

現実の理不尽さと、物語のそれとは違うと思う。

物語の中の理不尽さは、創作者の思考停止と紙一重のときがある。

 

だから、そこに理屈や意図が見えなければ、ワタシらは物語を信じきれなくなってしまう。

 

ただ、

 

現実の、真央ちゃんのソチでの神懸ったパフォーマンスのような、ベタなくらいの奇跡のよう結末の瞬間を物語は語りえる。

 

だから、ワタシたちは、物語を信じてついていくんじゃなかろうか。

 

とも思う。


たとえベタベタな定石どおりの結末でも、いかに奇跡の結末に見せられるかが、創作者の腕のみせどころじゃないだろうか。

 

YOI1期の結末の意図が、いつか語られんことを願ってやまない。

 

というわけで、思わず知らず長きに渡って、マジかGWにまでかかってしまったのかっ!YOI考察的振り返りも今回の番外をもって、

 

いや、今度こそマジで、

 

おしまいっ!なのである!ご清覧いたみいる~!

 

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2017-4-11 20:03;54