灰色の街 | 天路歴程

天路歴程

詩や、お話や、自分の思いを綴っています。楽しんで頂けると、幸いです。

 あの人が住む街に降り立つ。2月の風景は灰色だ。空も地面も光も無彩色。着膨れした雀がちょんちょん跳ねるだけ。雀すら灰色がかっている。


 冷たい風が吹く。私はマフラーを巻き直して顔を半分隠す。ここは海のある街。海が見える遊歩道を歩く。海もやっぱり灰色。けれど2月の海は灰色であっても底には微かな光を宿す。春の兆しは密やかに隠れている。


 見上げれば灰色の空に白い影。かもめが飛んでいる。潮の香りがする。懐かしく思うのはなぜなのだろう。


 どんなに世界や自分が灰色でも、彩りやきらきらや喜びは潜んでいる。そして不意にそれらは私の前に現れる。


 そんな風に思えるのは、私が恋をしているからだろうか。


 私は中年の平凡な女で、特別な魅力があるわけではない。それでも人を好きになるものなのだ。人を好きになるのに資格はいらない。


 不思議なもので、少女の時や若い頃と同じように気持ちはざわめくし、ふわふわと夢心地になるし、胸はやっぱり締め付けられる。


 若い頃は「おばさん」なんて、醜くてうるさくて遠慮がなくて、「女」のなれの果てだと思っていた。そして枯れた存在なんだと思っていた。


 年をとってわかる。若さゆえのフレッシュさや輝きや美しさ、吸収できる器や好奇心、体力。それは失われてしまう。


 けれど、芯に持つものは変わらない。人間であることには変わりがない。


 怯え驚き、歓喜し憂う。同じように心は動く。プライドや世間体を捨てれば、心は軽やかに跳ねるもの。


 もし、「大人」という定義があるとしたら、秘めてるものを愛でることができるということではないだろうか。


 私は今の恋を恥じてはいないが、秘めてはいる。それは甘くて苦い。甘くて酸っぱい。もやもやもわくわくもあって、一筋縄にはいかない。隠しているのか隠されているのか、どちらかすらもうわからない。


 私はあの人の家の前にいる。呼び鈴を押す。ドアが開く。コーヒーの香りがする。あの人の目尻のしわ。向かい入れられた嬉しさ。チョコレートは溶けていく。