こちらのブログは初めはダイエット日記として諦めず続けようと始めました。
昨年8月、母が肺炎で入院。
多発性骨髄腫の発症から7年間闘病しました。
そこから約1年、ブログの更新出来ませんでした。
同年11月22日、母は旅立ちました。
多発性骨髄腫とは血液の癌であり、内臓への転移は少なく、骨がもろくなり骨折しやすく、そして痛みはのたうち回るものでした。
採血結果の数値は、生きているのが不思議なくらい、最悪でした、余命はあと1~2ヵ月と言われてから半年頑張って生きていてくれました。
私はサバイバーで、アダルトチルドレンと自覚してから反抗期をしました。
反抗なんて出来なかった、怖くて怖くて…鬱になるまでは。
そこから闘病中である母に対し怒りと悲しみ…しくしく泣いている人は怒りを抱えているガミガミ怒ってばかりの人は悲しみを抱えている。
「お母さんなんて大嫌い!私をACにした母を許せない!後天的なADHDになったのも母のせいだ!本当に大嫌いだ!」って言葉がさ、私には「本当はお母さんが大好きだよ、愛してるよ、私を愛して!!」って聞こえる。
ギリギリになってから、母を憎まずお見送り出来たこと、心から感謝します。
母の愛情は屈折していて「厳しく!叩いて殴って言うこと聞かせればいい子になる」と、それしか母は愛情の表現が出来なかったのだなと今は思っています。
「感謝せえよ!」口癖でした、一生懸命感謝する努力をしました。
母はとても性格が悪くて、気分屋で、言葉と態度が違う人だったので、顔色を伺いながら怒られないように努めたし、母が私の世界でした。
子供にとって、「言葉と態度が違う」のは混乱します。
態度はあからさまに怒ってる、でも口では「起こってないよ」ってね。
このダブルバインドにはほとほと振り回されました、楽になりたいと思っちゃうよね。
だから、いまの私は大きな音にドキッとする。
ラップの芯を子供がふざけて振りかざした時に固まる。
ハエ叩き、木製ハンガー、掃除機の棒、尺、ゲンコツ、振り上げられると恐怖でした。
母の言葉は絶対で、私は幸せになってはいけないと思っていました。
この課題の終了を待っていてくれたのかとも思います。
育て方は間違いが、今の私から見たら多いけど、愛が無かった訳ではなかった。
母の生育歴も酷いものでした。
通夜の晩に、叔母から聞きました。
お母さん、犯人なんて居なかったよ。
気付いた時、たくさん泣きました。