会社の飲み会帰り。
そこそこに偉い人たちが酔っ払って、
そこそこに私を褒めたりなんだりしてくれて
そこから抜け出てぼんやりする。
ところで、キセルのベガっていい曲です
でも最初から良い曲って思っていたわけではなく、
知り合いがやたらこの曲はいい曲なんだと何度も何度もまくし立てるので洗脳されてなんども聞いたらまんまと洗脳されました。
相変わらず、他のキセルの曲と同じに変な曲です。
羊水のような守られたエーテルをたゆんたゆんと漂いながら、あ、そんな感情あったかもしれないっえ、懐かしい幾つか幾つかを思い出して、そんな曲。
つげ義春の夜をつかむを思い出しますが、その感想が妥当な自信はどうもありません。なにせ、私は、とりあえず、ラーメンのことを考え出すとビートルズを思い出し、電子レンジのことを考えると崩壊する文明を思い出す程度には色んなネジがズレているから。
多分、タバコはペルメルに限るなーとか、
ウィスキーはラフロイグだとか、
そういうのが美学だったりするように、
ときにコスメというのは象徴なんだと思います。
化粧すること自体はそんなに好きじゃないんだけど、
コスメを見るのはだから楽しいです。
といっても、女性誌に載ってるコピーをそのまま
会いしているわけではなくて
ゲランの夜間飛行だったら、サンテグジュペリのことを考えながら、
あ、遠いな、悲しいな、と考えながら、
こういうものを大切にしているのが私です、というステートメントだったりするのではとおもうのだけれど
問題はそういうステートメントをもとに服なんかを選ぶと、痛いセンスの持ち主になることです。
服はイズムじゃなくて、アンチイズムで選んだほうがずっと粋だし、イズムで選んだ服をその通りに着こなせるのは服をイズムとすることを選んだ人だけだと思うんだな。
だから、私はセンスが悪くないの究極系の人みたいな人をほんとに、いいなぁ、あぁいうふうに服選びたいなぁって思う。つまり、これをダサいと思う人がいるなというのを、排して排していったあとに、ダサくないをダサくないレベルで昇華してるひとはほんとセンスがいいと思う。
実用と象徴のバランスはいつも難しいし、世の中っていつもバランスだなと思う。
だって、たとえば命は大切だけど、ほんとに人一人の命が地球より大事だと考えだすと、この世に車が存在するのはおかしい。車が存在するということは、自由と引き換えに年間何%かの死者を必ず想定することだものね。論理的であることはとっても不条理だ。カミュのカリギュラみたいに。
ウィスキーはラフロイグだとか、
そういうのが美学だったりするように、
ときにコスメというのは象徴なんだと思います。
化粧すること自体はそんなに好きじゃないんだけど、
コスメを見るのはだから楽しいです。
といっても、女性誌に載ってるコピーをそのまま
会いしているわけではなくて
ゲランの夜間飛行だったら、サンテグジュペリのことを考えながら、
あ、遠いな、悲しいな、と考えながら、
こういうものを大切にしているのが私です、というステートメントだったりするのではとおもうのだけれど
問題はそういうステートメントをもとに服なんかを選ぶと、痛いセンスの持ち主になることです。
服はイズムじゃなくて、アンチイズムで選んだほうがずっと粋だし、イズムで選んだ服をその通りに着こなせるのは服をイズムとすることを選んだ人だけだと思うんだな。
だから、私はセンスが悪くないの究極系の人みたいな人をほんとに、いいなぁ、あぁいうふうに服選びたいなぁって思う。つまり、これをダサいと思う人がいるなというのを、排して排していったあとに、ダサくないをダサくないレベルで昇華してるひとはほんとセンスがいいと思う。
実用と象徴のバランスはいつも難しいし、世の中っていつもバランスだなと思う。
だって、たとえば命は大切だけど、ほんとに人一人の命が地球より大事だと考えだすと、この世に車が存在するのはおかしい。車が存在するということは、自由と引き換えに年間何%かの死者を必ず想定することだものね。論理的であることはとっても不条理だ。カミュのカリギュラみたいに。
…と思う。
たぶん経験をとおしてしかわからないことや
知識の蓄積を通してしか理解できないものっていうのが
世の中にはさまざまさまざまあり、そして、経験を通してしか
理解できないものをすっと理解できたときに
「あー生きててよかったなー」と思います。
いや、別に経験ってようは、しょせん、
友情や恩師や恋愛やそういったものですので
理解できたとて、理解させてくれたものはとうに
失った後だったりするわけなので、それは幸福なのか、って
そういう問題もあるのですが、
いやでもね、やっぱり死んだ人をいとおしんで墓参りするようなのが
人生とすると、参れる墓は多いほど、自分を愛せるのではないかと
そういうことです。
さて、私が思う、経験をとおしてしか理解できない本
パーマネント野ばら(新潮文庫)
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…なんていうか、たくさん、人と付き合ったり別れたりしてドロドロした感情も抱いたり
疲れたりした後に、それこそ墓参りをするみたいに例えるなら、付き合いたてのころから、
何年後かに分かれた後にこの人のことをどのように思い出すのかしらと、そういうことを
予測しながらまるで初恋みたいに恋をしてしまうような
そういう状況がひしひし伝わってきて「あーひとってバカらしいなー、
なんでもかんでもばからしーなー、でも馬鹿らしくありながらなんていうか
美しくかなしいな」
という観点から読むと相当涙が止まらない名作です。
それから、これかな
キセルってサブカル好きな人はとりあえず聴いてるイメージだけど
ほんと、なんていうか、責任とか生きるとかに疲れてるときに
聴くといいです。胎内にいるみたいにここちいい。
で、このくちなしの丘は、一見するとよくある失恋ソングのようでいて
とても美しい一瞬を歌った曲です。
ああ、こういう美しい気持ちがあったな。と思いながら聴くと泣ける。