大雨の峠は越えて、平時の暮らしに戻ってきたマニラですが、雨季なので毎日のように一時的には強い雨が降ります。
都市部からほんの少し先、マニラ首都圏と隣接しているブラカン州の一部では、いまだに水が腰のあたりまであり、停電したままで非常に困難な状況です。
ブラカン州・メイカワヤン市にある妻の実家も同様で、義母のサリサリストア(何でも屋さん)、娘が彼氏と働いている開店したばかりの食堂も、、営業ができません。
常に水に浸かっている状況は最悪です。
家屋は傷み、衛生面は極めて悪く、足に傷などあれば悪化して大変なことになったりするでしょう。
この地区のメイン道路は、先月から側溝の改良工事をやっていました。
もうすぐ来る雨季に備えて、配管を入れ替えようとしていましたが、私はその開始時期のタイミングに大変不満でした。
もっと早く、数か月前から始めないと、雨季に間に合わないからです。
一本道の両側とも、深い溝ができている状態のまま、今回の豪雨被害になり、その道は車で走ると深さ1m以上の側溝が至る所にあり、簡単に脱輪する状況です。
汚い水が溜まったら、もうおしまいです。
道路一面水浸しになり、巨大な穴がどこにあるか見えないので歩行者も道の端を歩くこともできません。
救援にも迎えません
船で行くしかない有様です。
町や市の単位では全く話になりませんから、中央が乗り込んできてちゃんとした治水対策を講じてくれないとこんな町は最悪の環境のままです。
まあ、マニラの都市部でもそんな対策なんてほとんどできないんだから、あと数十年は無理なような気もします。
この地区は海に近く、ダムにも近い非常に水に弱い地域なんです。
こんな暮らしがずっと続けば、きっと住民の手や足には水掻きが付いたりしそうです。
ウォーターワールドのケビンコスナーですね。
妻の実家からは20kmほど離れていますが、私の仕事場近くも、かなりの浸水被害を受けまして、広域にわたってすごく被害が出ていると感じます。
ラーメン店に出資してくれている社長の工場や農場も一部が被害を受けたりしているようです。
この華僑社長一族には、ゴッドマザーと言うか、74歳になる社長のママが健在ですが、
この方は常にボランティア活動をされている方で、大変に元気です。
今日はそこにある私の練習用キッチンで新作料理を作ろうと張り切ってやってきたら、住み込みの従業員から「今日はここを使わないでください。 ミセスからの言いつけです。」
と言われました。
ここは広くてキッチンと言っても4つもあるのに、何で?
と考えていたら、ミセス(皆からそう呼ばれています)がやってきました。
この方は大変頭がよくて、料理が好きでやさしい方なんですが、厳しいところもあるので、そこにいる従業員たちは緊張しています。
なぜか、ありがたいことにこのミセスは、明らかに私を依怙贔屓して、いつも大変可愛がってくれます。
従業員を叱って厳しい顔をしている時でも、私を見るとニコーーって笑って近づいてきます。
最初は怖かったですが、今では私もこの方が大好きです。
何か変わった料理があると、わざわざ自宅から車に乗って、10分ほどのところにある練習用キッチンまで、私に食べさせるために持って来てくれます。
今日は私が来ていると聞いて、高菜と豚肉を炒めて中華風に味付けした具を中にいれた手の込んだ豚まんを持って来てくれました。
おいしかったです。
「おいしい」と言うと喜んでくれますが、たまにおいしくない料理もあり、そういう時のリアクションには大変苦労しています(苦笑)
ミセスの旦那さんは亡くなりましたが、6人いる子供たちは皆さん仲が良く、お金持ちですので、いつも大勢を招いて食事したりしています。
ミセスは、なんか私と気が合うと言うか、亡くなった母と偶然同じ年で、私の母が乗り移ってるんだと妻は言います。
ミセスは私の作った料理をいつも試食させろと言って、食べては日本語で「おいしい」と言ってノートを取り出し、作り方を一から説明させられます(笑)
結構めんどくさかったりもします。
まあ、料理仲間と言うか、私の味方ですから、非常に心強い存在です。
妻もかわいがってもらっています。
ちょっと長くなりましたが、その私のフィリピンのもう一人の母、ミセスが昼前にキッチンに、お付きのスタッフが5人くらいと一緒にやって来ました。
別の車から次々と荷物を降ろし始めました。

大量の卵と、鶏肉です。
今から料理をすると言います。
被災された方へのフィリピン流炊き出しです。
量が多すぎて、何度にも分けて作らないとできないくらいのすごい量です。
1000人分は用意したそうです。
フィリピンの代表料理、アドボチキン(鶏肉の醤油と酢の炒め煮 うまいですよ) を作るときは大きなフライパンに12kgの鶏肉を入れました。
これを10回以上作るそうです。

私も仕事用の買い物があり、最後までは付き合えなかったのですが、被災された方を励ますために一生懸命なこのミセスはやっぱり、特別な人だとつくづく思いました。
まあ、お年なので、指示するだけで、大変なのはスタッフのみなさんなんですけどね・・
私は帰宅後、そこで分けてもらってる卵を使ってベーコンエッグにしました。
塩コショウを目玉焼きに振りました。
サラダには細かいサイコロ状にカットしたチーズと胡麻ドレッシングをかけました。

ごはんにはカツオふりかけと、ジャガイモとわかめの味噌汁です。
なんかこんな普通の朝食メニューが、ここではなぜか、ごちそうに見えたりします。
娘や義父母が被災してるので、ぜいたくは出来ません。
私の家に来てしばらくいればいいよ、と言ってますが、何日も家や店を空けられないからと、我慢してそこに残っています。
盗られてもたいしたものはないのに…
そうつぶやく私は妻に叱られました。
お金を集めて届けたいけど、それを呼び掛けてあちこち回るのも気が引けるので、できません。
被災地は広域にありますから。
って、結局何もできない自分がここにいます。
早く、水よ、引いて下さい。
そして彼らに仕事を。
何度も繰り返さないような治水対策を。
都市部からほんの少し先、マニラ首都圏と隣接しているブラカン州の一部では、いまだに水が腰のあたりまであり、停電したままで非常に困難な状況です。
ブラカン州・メイカワヤン市にある妻の実家も同様で、義母のサリサリストア(何でも屋さん)、娘が彼氏と働いている開店したばかりの食堂も、、営業ができません。
常に水に浸かっている状況は最悪です。
家屋は傷み、衛生面は極めて悪く、足に傷などあれば悪化して大変なことになったりするでしょう。
この地区のメイン道路は、先月から側溝の改良工事をやっていました。
もうすぐ来る雨季に備えて、配管を入れ替えようとしていましたが、私はその開始時期のタイミングに大変不満でした。
もっと早く、数か月前から始めないと、雨季に間に合わないからです。
一本道の両側とも、深い溝ができている状態のまま、今回の豪雨被害になり、その道は車で走ると深さ1m以上の側溝が至る所にあり、簡単に脱輪する状況です。
汚い水が溜まったら、もうおしまいです。
道路一面水浸しになり、巨大な穴がどこにあるか見えないので歩行者も道の端を歩くこともできません。
救援にも迎えません
船で行くしかない有様です。
町や市の単位では全く話になりませんから、中央が乗り込んできてちゃんとした治水対策を講じてくれないとこんな町は最悪の環境のままです。
まあ、マニラの都市部でもそんな対策なんてほとんどできないんだから、あと数十年は無理なような気もします。
この地区は海に近く、ダムにも近い非常に水に弱い地域なんです。
こんな暮らしがずっと続けば、きっと住民の手や足には水掻きが付いたりしそうです。
ウォーターワールドのケビンコスナーですね。
妻の実家からは20kmほど離れていますが、私の仕事場近くも、かなりの浸水被害を受けまして、広域にわたってすごく被害が出ていると感じます。
ラーメン店に出資してくれている社長の工場や農場も一部が被害を受けたりしているようです。
この華僑社長一族には、ゴッドマザーと言うか、74歳になる社長のママが健在ですが、
この方は常にボランティア活動をされている方で、大変に元気です。
今日はそこにある私の練習用キッチンで新作料理を作ろうと張り切ってやってきたら、住み込みの従業員から「今日はここを使わないでください。 ミセスからの言いつけです。」
と言われました。
ここは広くてキッチンと言っても4つもあるのに、何で?
と考えていたら、ミセス(皆からそう呼ばれています)がやってきました。
この方は大変頭がよくて、料理が好きでやさしい方なんですが、厳しいところもあるので、そこにいる従業員たちは緊張しています。
なぜか、ありがたいことにこのミセスは、明らかに私を依怙贔屓して、いつも大変可愛がってくれます。
従業員を叱って厳しい顔をしている時でも、私を見るとニコーーって笑って近づいてきます。
最初は怖かったですが、今では私もこの方が大好きです。
何か変わった料理があると、わざわざ自宅から車に乗って、10分ほどのところにある練習用キッチンまで、私に食べさせるために持って来てくれます。
今日は私が来ていると聞いて、高菜と豚肉を炒めて中華風に味付けした具を中にいれた手の込んだ豚まんを持って来てくれました。
おいしかったです。
「おいしい」と言うと喜んでくれますが、たまにおいしくない料理もあり、そういう時のリアクションには大変苦労しています(苦笑)
ミセスの旦那さんは亡くなりましたが、6人いる子供たちは皆さん仲が良く、お金持ちですので、いつも大勢を招いて食事したりしています。
ミセスは、なんか私と気が合うと言うか、亡くなった母と偶然同じ年で、私の母が乗り移ってるんだと妻は言います。
ミセスは私の作った料理をいつも試食させろと言って、食べては日本語で「おいしい」と言ってノートを取り出し、作り方を一から説明させられます(笑)
結構めんどくさかったりもします。
まあ、料理仲間と言うか、私の味方ですから、非常に心強い存在です。
妻もかわいがってもらっています。
ちょっと長くなりましたが、その私のフィリピンのもう一人の母、ミセスが昼前にキッチンに、お付きのスタッフが5人くらいと一緒にやって来ました。
別の車から次々と荷物を降ろし始めました。

大量の卵と、鶏肉です。
今から料理をすると言います。
被災された方へのフィリピン流炊き出しです。
量が多すぎて、何度にも分けて作らないとできないくらいのすごい量です。
1000人分は用意したそうです。
フィリピンの代表料理、アドボチキン(鶏肉の醤油と酢の炒め煮 うまいですよ) を作るときは大きなフライパンに12kgの鶏肉を入れました。
これを10回以上作るそうです。

私も仕事用の買い物があり、最後までは付き合えなかったのですが、被災された方を励ますために一生懸命なこのミセスはやっぱり、特別な人だとつくづく思いました。
まあ、お年なので、指示するだけで、大変なのはスタッフのみなさんなんですけどね・・
私は帰宅後、そこで分けてもらってる卵を使ってベーコンエッグにしました。
塩コショウを目玉焼きに振りました。
サラダには細かいサイコロ状にカットしたチーズと胡麻ドレッシングをかけました。

ごはんにはカツオふりかけと、ジャガイモとわかめの味噌汁です。

なんかこんな普通の朝食メニューが、ここではなぜか、ごちそうに見えたりします。
娘や義父母が被災してるので、ぜいたくは出来ません。
私の家に来てしばらくいればいいよ、と言ってますが、何日も家や店を空けられないからと、我慢してそこに残っています。
盗られてもたいしたものはないのに…
そうつぶやく私は妻に叱られました。
お金を集めて届けたいけど、それを呼び掛けてあちこち回るのも気が引けるので、できません。
被災地は広域にありますから。
って、結局何もできない自分がここにいます。
早く、水よ、引いて下さい。
そして彼らに仕事を。
何度も繰り返さないような治水対策を。