大阪で母の一周忌法要があり、久しぶりに兄弟と集まりました。
兄妹のおかげで私は何も準備も手伝うことなく、ただ参列させていただきました。
母が一番かわいがっていた孫娘もわざわざ、学校を休み、おばあちゃんのために線香を上げていました。
私は無教養ですので宗教を理解して信仰するほど熱心になれないし、無宗教です。
都合のいいときだけ、「神様、仏様」とすがる不謹慎なやつなんです
母の訃報を知ったのはフィリピンに仕事で来ていたときでした。
たまたま、山岸さんの家にお邪魔して、メールチェックしたときに兄からの一通のメールを見つけてしまいました。
私も、山岸さんも言葉を失い、ただ呆然として涙も流れなかったんです
ただ、「妹に電話をしなきゃ」
と思い、山岸さんの家を出てホテルから電話しました
妹も仕事で臨終に間に合わなかったと聞き、後は会話にならずにただ、涙が流れました。
すぐに日本に帰り、棺の中の母を見てから、荼毘に付されるまで2日間泣き通しでした。
あれから1年です。
その後私は、大阪を離れてフィリピンに移り住んでいますが、母が生きていたらまだ大阪にいたと思います。
フィリピンに来てよかった。
まだ、開店していませんが毎日、来てよかったと思っています
愚痴をこぼし、フィリピンでのストレスをこのブログでも書いていますが、今の仕事をやめて日本に戻りたいと考えたことは一切ありません。
もう、まっしぐらにラーメン店開店に向けて進むだけです。
いろんな思いがあります。
すぐ涙が出て、泣き虫になってしまった私は母がいなくなってから、1週間ほどしてから涙が止まりました。
もうそれからなかなか泣かなくなりました
いい事です
今はラーメン店の成功を本気で考えています
明日、マニラに戻ります
ラーメン店成功のために、あることに挑戦することになりました。
これがうまくいけば、もう鉄板です
どこにも負けないラーメン屋になる宣言ができると思います
あることって、言うのは、まだ秘密です
でも、言いたいなあ、基本 私おしゃべりなんで。
次回か、その次くらいに発表します
私の本気度がわかっていただけると思います
秋晴れのさわやかな天気でした。
大阪はうまいものがいっぱいありますが、忙しくて行きたい店にいけませんでした。
時間がありませんが何か秋の味覚を食べてから帰ろうと思います
兄妹のおかげで私は何も準備も手伝うことなく、ただ参列させていただきました。
母が一番かわいがっていた孫娘もわざわざ、学校を休み、おばあちゃんのために線香を上げていました。
私は無教養ですので宗教を理解して信仰するほど熱心になれないし、無宗教です。
都合のいいときだけ、「神様、仏様」とすがる不謹慎なやつなんです
母の訃報を知ったのはフィリピンに仕事で来ていたときでした。
たまたま、山岸さんの家にお邪魔して、メールチェックしたときに兄からの一通のメールを見つけてしまいました。
私も、山岸さんも言葉を失い、ただ呆然として涙も流れなかったんです
ただ、「妹に電話をしなきゃ」
と思い、山岸さんの家を出てホテルから電話しました
妹も仕事で臨終に間に合わなかったと聞き、後は会話にならずにただ、涙が流れました。
すぐに日本に帰り、棺の中の母を見てから、荼毘に付されるまで2日間泣き通しでした。
あれから1年です。
その後私は、大阪を離れてフィリピンに移り住んでいますが、母が生きていたらまだ大阪にいたと思います。
フィリピンに来てよかった。
まだ、開店していませんが毎日、来てよかったと思っています
愚痴をこぼし、フィリピンでのストレスをこのブログでも書いていますが、今の仕事をやめて日本に戻りたいと考えたことは一切ありません。
もう、まっしぐらにラーメン店開店に向けて進むだけです。
いろんな思いがあります。
すぐ涙が出て、泣き虫になってしまった私は母がいなくなってから、1週間ほどしてから涙が止まりました。
もうそれからなかなか泣かなくなりました
いい事です
今はラーメン店の成功を本気で考えています
明日、マニラに戻ります
ラーメン店成功のために、あることに挑戦することになりました。
これがうまくいけば、もう鉄板です
どこにも負けないラーメン屋になる宣言ができると思います
あることって、言うのは、まだ秘密です
でも、言いたいなあ、基本 私おしゃべりなんで。
次回か、その次くらいに発表します
私の本気度がわかっていただけると思います
秋晴れのさわやかな天気でした。
大阪はうまいものがいっぱいありますが、忙しくて行きたい店にいけませんでした。
時間がありませんが何か秋の味覚を食べてから帰ろうと思います