悲しいニュースです
私が大好きだった、柳ジョージさんが亡くなったそうです。
とても寂しいですね

その曲を聴くと、時代がぱっと昔に戻り、思い出の情景が浮かぶことがあると思います。
柳ジョージさんの曲の中には、いくつもそういう曲があります。

一時期、弟と柳ジョージとレイニーウッドばかりを聞いていた時期もありました。
代表曲 「雨に泣いてる」はバンドでコピーもしましたが、あの感じは当時出せずに終わりました。

20歳を過ぎた頃、会社の先輩に飲み屋に連れて行かれて、初めてカラオケを歌いました。
ひげを生やし、手のつけられない暴れん坊で飲んだくれのその先輩は私を大変可愛がってくれました。
まだ、カラオケBOXが出来る前の話しです。

カウンターで飲みながら、先輩が歌ったのは、「プリズナー」でした。
私が大好きなその曲を偶然選んでくれたことがうれしくて今でも覚えています。

京都の田舎のほうから出てきた女の子が寿退社で田舎に帰ることになったときに渡したのも、なぜか柳ジョージのテープでした。
大事にすると言ってくれたのがうれしかったです。

「青い瞳のステラ」「FENCEの向こうのアメリカ」「FOR YOUR LOVE」
いつも、カラオケで歌っていました。

和製クラプトンと呼ばれ、枯れた声と、渋い泣きのギターを聞かせてくれました。
10代の頃、大阪に残るか、ミュージシャン目指して東京に出るか悩んでいたときにも聞いていました。
彼が歌う、本牧や横浜、さらにアメリカに行きたいと、思いを募らせました。

その頃はもうジョージさんは結構ベテランでしたので、ファンもおっさん中心でした。
まだ若かった私と弟は、大阪で私が店長の居酒屋で一緒に働き、いつも一緒に車に乗って帰りました。

「このおっさんは、ホンマ、いつも、アメリカか横浜やなあ、大阪の歌は無いんかい!」と突っ込みながらも、車に乗るといつも、決まったように「ハーバー フリーウェイ」「さらばミシシッピー」など聞いていました。

数年後には弟と横浜で暮らすことになるなんて思いもしませんでした。
今でも弟はずっと横浜にいます

島根県の友人が亡くなったときに、通夜のあと、皆で飲みに行き、亡くなった友を偲びました。
地元で一番の友人が泣きながら歌ってくれた「コインランドリーブルース」は忘れられません。

酒好きで、晩酌を欠かせなかったジョージさんはまだ63歳と言うことでした
残念ですが、たくさん名曲 名演を遺しました
ご冥福をお祈りします R.I.P

大好きな曲です。