10月19日に亡くなった母の告別式が終了しました。
母は、骨になりましたが、やっと自宅に帰ってきました。

写真と位牌と一緒に小さな祭壇を臨時で設けました
明日は、正式な祭壇が届きます。
それまでは、私と2人っきりです。

7月末に高熱で入院してから、ずーっと熱が下がらずに氷枕をしていました。
今日、お別れのときに顔に触れたら、当たり前ですが、冷たかったです。
冷たすぎて涙が止まりませんでした。

花が好きだった母の棺は、あふれるほどの花で一杯になりました。
もちろん、大好きな蘭の花も大きなユリも入れました。

入院中は食事が出来なくてチューブから栄養を取ることしかできませんでした。
それでも3ヶ月近く頑張りました。

自宅に戻ってきたので、毎日飲んでいたカフェオレを久しぶりにあげました。
今年は7月にはもう暑かったし、入院前も、冷たく冷やした麦茶を美味しそうに飲んでいました。
だから、さっき麦茶もあげました。

お医者さんからは血糖値が上がるからと、止められているフルーツも母は大好きなので、私はいつも内緒であげていました。
食事は残しても、果物はあっという間にたいらげていました。

明日は、もうひとつの大好物、モンブランをお供えします
ちゃんと買ってあります。


母の容態が、もう少し良くなったら転院する予定でしたが、私の同級生が勤めている病院は、腎臓病にかなりの治療実績もあるので、少し前に、お世話になれるかどうか聞くために友達に電話をしました。

そのときに、「ウチに任せて」と言ってくれて喜んでたんですが、連れて行けなかったです。

さっき、その友に電話をして、「せっかく。任せろと言ってくれたのに、連れて行けなかったよ。亡くなっちゃった。」と電話をしたら、とても悲しんでくれて、「お前のお母さんがいつ来てもいいように受付の人にも、ちゃんと名前を伝えておいたんだ。とても残念だ。」
と言われると、もう言葉がありませんでした。

告別式ではみんな涙を流して別れを惜しんでくれました。
私は身体はデブで大きいくせに、こらえきれずに、何度も涙が止まらなくて、悲しかったです。

斎場で焼かれる際には、もうどうしても、涙が止まらないで、7歳の姪っ子にやさしく背中を叩かれ「もう泣かないで元気出してね。」となぐさめられました。

母がものすごく溺愛して大好きな7歳の姪っ子は、大変にやさしい子に育っています。
これからの成長が楽しみです。

親戚が集まると、そこにいろんな人間模様があります。
順調に人生を歩めない人ももちろんいます。

つまずいて苦しんだ事は自分にも何度もあり、周りの人たちに支えられて生きてきました。
今もそうやって生きています。

幼い頃にすごく強かった人が、今ではすっかり老け込んでしまったり、そんなこともありますが、母が産んでくれたお陰で、いろんな縁を感じて、助け合って生きていこうと強く思いました。

いい家庭に恵まれた人よりも、少し元気が無いようなそんな人たちに、私が幼かった頃、可愛がってくれた人たちに、感謝して、できることがあれば応援していこう

今思えば、母は、口は悪いし、気もきついけど、でも、やさしかったです。
本当にやさしかったと思います。

母はこれから私たちの守り神になって天から助けてくれます。
お坊さんの話を聞いて、そう確信しています。

いつまでも忘れる事のできない悲しい別れですが、乗り越えていきます。
大好きだった母のこと、しばらくは悲しみは癒えませんが、母の好きな曲でも聞きながら偲びたいと思います