前回、国際結婚お見合いの失敗談を記事に書きましたが、かなりアクセス数があり、コメントも数件いただきました。
あちこちの掲示板やmixiなどでも、国際結婚の話題になると、白熱することが多く、差別問題や親への援助についてなどで、すごい盛り上がりを見せますね。
私も過去はエキサイトした書き込みを投稿し、反対意見の人を倒すまで絶対負けないぞって熱くなることもありました。
冷静に考えると、個別にそれぞれの問題があり、全てが本当に事実かどうかさえ分からない書き込みに第三者が過剰反応して、さも相談者の師のように、全て理解したように思い込み、別れろとか、だまされてるよとか言っても相手の顔も見えないし、結局は何の責任も持たない場での言葉のやり取りでしかないわけです。自己満足みたいな場合も多々ありますし。
今回の農家の彼はいまだ、あきらめきれずに、ケンカしたのは些細なことで、時間を置けば彼女と和解して結婚するんだと言っております。
昨年11月に初めて彼女とお見合いして、すぐに結婚宣言して周囲を驚かせて、「ホントに結婚するの? だまされてないか?」って心配されてたらしく
今回の事態急変に周囲からは、「やっぱりな ・・ ほら言わんこっちゃ無い」など言われてるようです。
そんな残酷な言葉をかけてくる相手は友人では決してありません。
ただの、顔見知りです。
友人なら黙って肩を抱き、一緒に酒でも飲んでやって欲しいものです。
縁結びの神に、なりそこねた私たち夫婦も、もう一度がんばりたいという彼の熱意を聞いていますが、今後の方針を決めかねています。
私の妻もフィリピン人です。
日本人からすれば、前回の記事のケースは、男が被害者で、悪いのは、ふざけた厚かましい女かも知れませんが、それはフィリピンでは常識なんです。
日本人の考えがいつも正しくは無いと妻は思っています。
私も実はそう思います。
世界基準=日本の考えではない これは常識ではないでしょうか。
武士道に代表される考え方など外国からすると驚きの精神でしょう。
現代は武士道が過去のものになって、責任の取り方もだいぶ変わって来たと思います。
武士道とは関係ないですが、子が親の面倒を見ると言う、世界では当然の行為が日本では常識ではなくなりました。
お金に困っている身内がいたら助け舟を出すのも昔ほど多くないと思います。
まず、その前に、ローン会社などで金策をするのが常識かもしれません。
簡単にその日のうちに金策が出来る時代です。
立派な親に育てられた人は、親もしっかりと働いて自分以上に稼いでくれたりして、幸せなことですが、自分が親の面倒を見ると言う感覚が無いと言うか、必要もないし、考えられない方が多いと思います。
私の母は、私が中学生のときに離婚し、女手ひとつで5人の子供を育てましたが、40代半ばにて病に倒れ働けなくなりました。
私の家族は皆が働いて、お金を出し合って暮らすしか方法は無かったんです。同じ家で暮らさなくなっても親に仕送りをするというのは、納税よりも優先して守らなければならない家族のルールでした。
今思うと、周りにはそういう友達はあまりいませんでした。
自分の給料袋を封も切らないで親に渡すと言うことは私の中では当たり前と思うしかなかったんです。
そんな家庭は自由も無く、私を非常に苦しめ、19歳にして家を飛び出し東京に行ってしまいました。
普通の仕事をするよりも、一流ミュージシャンになって金を稼いで親兄弟を楽にしたいと思ったんです。
そんな思いで東京に行きましたが、大阪に残っている家族は「好き勝手に逃げ出した責任感の無いやつ」だと思っていました。
なんか、日本へ出稼ぎに行くしかなかったフィリピンの貧乏家庭みたいな状況だったんです。
だから、私は「結婚後も親に仕送りをする」とか、「兄弟の学費を助ける」「病気の親族にお金を送る」とか、ほとんど全部が理解できるんです。
たまたま、幸運にも日本で生まれた私は貧乏といっても食べるものに困るほどではなくすくすく育ちましたし、優秀でもないのに、いろんな人の支えや、国の支援などがあるおかげで、何度も起業できたりします。
片やフィリピンを含め、厳しい環境で生まれたら、おなかいっぱい食べることすら夢の話です。
スラムで暮らして、物乞いしている子供は、なまけて、そういう暮らしになったわけではありません。
親や生まれる場所を選べないから、そうなっただけです。
私と、スクウオッターで暮らす物乞いのおっさんは同じ人間です。
私の方が優れているわけでも何でもありません。
ただ、少し私に運があっただけのことでしょう。
もし、私がそこで生まれたなら、起業などできるはずもなく、誰かの手下になってゴミ拾いなどやって、お金が欲しくてコソ泥でもやってたかもしれません。
仮定の話ですが、成功など無縁の男だったと自信を持っていえます。
ウチの父親は兄が大富豪で、父の親友は山口組の幹部で、子供の頃から父は派手な暮らしで、芸能人やスポーツ選手などと親しく、両親の結婚式にも有名人も来ていたそうです。
北島三郎やいしだあゆみを紹介されたと、母からは今でも昔の自慢話がいっぱい出てきます。
子供の頃、ウチには家庭教師やお手伝いさんがいました。信じられません。
毎年、両親が金を出して、大人数で家族旅行をしていました。
そんな家庭が崩壊してからは、自宅も売り払い、それでも消えない借金を返していく貧乏暮らしだったのです。
今はもう過去の話なので、貧乏を経験したのは返って良かったかもしれないと思うようになりました。
貧乏から抜け出すって、相当大変なことなんです。
給料が1万円の人に割り勘で食事をするなんて非情だと思います。
おごるつもりが無いなら普通のフィリピンの人と食事をするのは止めたほうがいいでしょうし、仕送りをしない約束を結婚の条件にする日本人と結婚しないほうがいいと思います。
「親に金を送ってはいけない」 理由が私には理解できません。
自分は親に育ててもらったんだから、親が困ったら助けるのは当たり前だと思うのですが、逆の意見をよく目にします。
他人が批評するなら、最低でも「個人の自由」でしょう。
「送ってはいけない」ってオレオレ詐欺みたいな扱いまでする人もいます。
それも、それが必要な助言のように書く人がいて驚きます。
「それを言わない女性を探しましょう」とか
私は、フィリピン人で「援助が要らない」っていう子はよほど、お金持ちか、冷たい女かと思ってしまいますね。
必要な助言は、「見た目のいい女を探すんだ」とか「やさしい家庭的な子を見つけなさい」がいいと思います。
私は男だから、それでいいと思うのです。
相手が貧乏かどうか、とか、親が病気していないか、とか、調べるって言うのは、よく考えたら女が結婚相手の調査をするときにやることですよ。
親の家を建て直すとか、車を買ってやるとか、私の中では別に普通の事です。妻と共有する夢です。
自営業者にはきっと、そういう考えの人が多いと思います。
年取ったらフィリピンで住もうか・・みたいな
私の兄が言います「お前はいいよな。嫁さんフィリピン人で。 家を立て替えてやるとか言っても数百万円で出来る。 俺は嫁も日本人だから数千万かかるかもしれない。 そして、感謝されるのはきっと同じくらいかもしれない」
こんなメリットがあると思えるので、私は何とか事業を軌道に乗せて家や車や別荘までフィリピンで買おうと夢を持っています。
もちろん、日本国内でも買いたいと思います。(なかなか買えないですが)
日本人サイドからの意見で、「家族を助けて言ってくる女とは結婚するな。きりが無い泥沼にハマるから」
という定説があります。
きっと、フィリピン側にも「お金でケチケチ言う男とは結婚してはいけない」というのがあるんじゃないでしょうか。
世界的基準がどちらかといえば、私は、「家族を援助する」ほうが「家族を援助してはいけない」より
圧倒的に多いと思います。
補足ですが、日本人が間違ってるとか言う話ではありません。
国によって考えは違うでしょうし、電車内で暴行されている女性がいても誰も見てみぬふりして助けないのも日本人です。
もひとつ補足で うそをついて仕送りさせて、働かないフィリピン人もたくさんいます。一番許せないです。金に困ったら何でもやるやつらです。 親族にそういうやつがいないかは運しだいです。
そんな奴は、日比どちらにもいますからね。
フィリピン人は皆、音楽が大好きです
この曲なんて80年代ですが、みんな知っています
私も大好きなジャーニーの名曲です。
スティーブ・ペリーは素晴らしいです。
国民性の違いなんでしょうか??
援助するほうがエンジョイできるんですけどねえ。
あちこちの掲示板やmixiなどでも、国際結婚の話題になると、白熱することが多く、差別問題や親への援助についてなどで、すごい盛り上がりを見せますね。
私も過去はエキサイトした書き込みを投稿し、反対意見の人を倒すまで絶対負けないぞって熱くなることもありました。
冷静に考えると、個別にそれぞれの問題があり、全てが本当に事実かどうかさえ分からない書き込みに第三者が過剰反応して、さも相談者の師のように、全て理解したように思い込み、別れろとか、だまされてるよとか言っても相手の顔も見えないし、結局は何の責任も持たない場での言葉のやり取りでしかないわけです。自己満足みたいな場合も多々ありますし。
今回の農家の彼はいまだ、あきらめきれずに、ケンカしたのは些細なことで、時間を置けば彼女と和解して結婚するんだと言っております。
昨年11月に初めて彼女とお見合いして、すぐに結婚宣言して周囲を驚かせて、「ホントに結婚するの? だまされてないか?」って心配されてたらしく
今回の事態急変に周囲からは、「やっぱりな ・・ ほら言わんこっちゃ無い」など言われてるようです。
そんな残酷な言葉をかけてくる相手は友人では決してありません。
ただの、顔見知りです。
友人なら黙って肩を抱き、一緒に酒でも飲んでやって欲しいものです。
縁結びの神に、なりそこねた私たち夫婦も、もう一度がんばりたいという彼の熱意を聞いていますが、今後の方針を決めかねています。
私の妻もフィリピン人です。
日本人からすれば、前回の記事のケースは、男が被害者で、悪いのは、ふざけた厚かましい女かも知れませんが、それはフィリピンでは常識なんです。
日本人の考えがいつも正しくは無いと妻は思っています。
私も実はそう思います。
世界基準=日本の考えではない これは常識ではないでしょうか。
武士道に代表される考え方など外国からすると驚きの精神でしょう。
現代は武士道が過去のものになって、責任の取り方もだいぶ変わって来たと思います。
武士道とは関係ないですが、子が親の面倒を見ると言う、世界では当然の行為が日本では常識ではなくなりました。
お金に困っている身内がいたら助け舟を出すのも昔ほど多くないと思います。
まず、その前に、ローン会社などで金策をするのが常識かもしれません。
簡単にその日のうちに金策が出来る時代です。
立派な親に育てられた人は、親もしっかりと働いて自分以上に稼いでくれたりして、幸せなことですが、自分が親の面倒を見ると言う感覚が無いと言うか、必要もないし、考えられない方が多いと思います。
私の母は、私が中学生のときに離婚し、女手ひとつで5人の子供を育てましたが、40代半ばにて病に倒れ働けなくなりました。
私の家族は皆が働いて、お金を出し合って暮らすしか方法は無かったんです。同じ家で暮らさなくなっても親に仕送りをするというのは、納税よりも優先して守らなければならない家族のルールでした。
今思うと、周りにはそういう友達はあまりいませんでした。
自分の給料袋を封も切らないで親に渡すと言うことは私の中では当たり前と思うしかなかったんです。
そんな家庭は自由も無く、私を非常に苦しめ、19歳にして家を飛び出し東京に行ってしまいました。
普通の仕事をするよりも、一流ミュージシャンになって金を稼いで親兄弟を楽にしたいと思ったんです。
そんな思いで東京に行きましたが、大阪に残っている家族は「好き勝手に逃げ出した責任感の無いやつ」だと思っていました。
なんか、日本へ出稼ぎに行くしかなかったフィリピンの貧乏家庭みたいな状況だったんです。
だから、私は「結婚後も親に仕送りをする」とか、「兄弟の学費を助ける」「病気の親族にお金を送る」とか、ほとんど全部が理解できるんです。
たまたま、幸運にも日本で生まれた私は貧乏といっても食べるものに困るほどではなくすくすく育ちましたし、優秀でもないのに、いろんな人の支えや、国の支援などがあるおかげで、何度も起業できたりします。
片やフィリピンを含め、厳しい環境で生まれたら、おなかいっぱい食べることすら夢の話です。
スラムで暮らして、物乞いしている子供は、なまけて、そういう暮らしになったわけではありません。
親や生まれる場所を選べないから、そうなっただけです。
私と、スクウオッターで暮らす物乞いのおっさんは同じ人間です。
私の方が優れているわけでも何でもありません。
ただ、少し私に運があっただけのことでしょう。
もし、私がそこで生まれたなら、起業などできるはずもなく、誰かの手下になってゴミ拾いなどやって、お金が欲しくてコソ泥でもやってたかもしれません。
仮定の話ですが、成功など無縁の男だったと自信を持っていえます。
ウチの父親は兄が大富豪で、父の親友は山口組の幹部で、子供の頃から父は派手な暮らしで、芸能人やスポーツ選手などと親しく、両親の結婚式にも有名人も来ていたそうです。
北島三郎やいしだあゆみを紹介されたと、母からは今でも昔の自慢話がいっぱい出てきます。
子供の頃、ウチには家庭教師やお手伝いさんがいました。信じられません。
毎年、両親が金を出して、大人数で家族旅行をしていました。
そんな家庭が崩壊してからは、自宅も売り払い、それでも消えない借金を返していく貧乏暮らしだったのです。
今はもう過去の話なので、貧乏を経験したのは返って良かったかもしれないと思うようになりました。
貧乏から抜け出すって、相当大変なことなんです。
給料が1万円の人に割り勘で食事をするなんて非情だと思います。
おごるつもりが無いなら普通のフィリピンの人と食事をするのは止めたほうがいいでしょうし、仕送りをしない約束を結婚の条件にする日本人と結婚しないほうがいいと思います。
「親に金を送ってはいけない」 理由が私には理解できません。
自分は親に育ててもらったんだから、親が困ったら助けるのは当たり前だと思うのですが、逆の意見をよく目にします。
他人が批評するなら、最低でも「個人の自由」でしょう。
「送ってはいけない」ってオレオレ詐欺みたいな扱いまでする人もいます。
それも、それが必要な助言のように書く人がいて驚きます。
「それを言わない女性を探しましょう」とか
私は、フィリピン人で「援助が要らない」っていう子はよほど、お金持ちか、冷たい女かと思ってしまいますね。
必要な助言は、「見た目のいい女を探すんだ」とか「やさしい家庭的な子を見つけなさい」がいいと思います。
私は男だから、それでいいと思うのです。
相手が貧乏かどうか、とか、親が病気していないか、とか、調べるって言うのは、よく考えたら女が結婚相手の調査をするときにやることですよ。
親の家を建て直すとか、車を買ってやるとか、私の中では別に普通の事です。妻と共有する夢です。
自営業者にはきっと、そういう考えの人が多いと思います。
年取ったらフィリピンで住もうか・・みたいな
私の兄が言います「お前はいいよな。嫁さんフィリピン人で。 家を立て替えてやるとか言っても数百万円で出来る。 俺は嫁も日本人だから数千万かかるかもしれない。 そして、感謝されるのはきっと同じくらいかもしれない」
こんなメリットがあると思えるので、私は何とか事業を軌道に乗せて家や車や別荘までフィリピンで買おうと夢を持っています。
もちろん、日本国内でも買いたいと思います。(なかなか買えないですが)
日本人サイドからの意見で、「家族を助けて言ってくる女とは結婚するな。きりが無い泥沼にハマるから」
という定説があります。
きっと、フィリピン側にも「お金でケチケチ言う男とは結婚してはいけない」というのがあるんじゃないでしょうか。
世界的基準がどちらかといえば、私は、「家族を援助する」ほうが「家族を援助してはいけない」より
圧倒的に多いと思います。
補足ですが、日本人が間違ってるとか言う話ではありません。
国によって考えは違うでしょうし、電車内で暴行されている女性がいても誰も見てみぬふりして助けないのも日本人です。
もひとつ補足で うそをついて仕送りさせて、働かないフィリピン人もたくさんいます。一番許せないです。金に困ったら何でもやるやつらです。 親族にそういうやつがいないかは運しだいです。
そんな奴は、日比どちらにもいますからね。
フィリピン人は皆、音楽が大好きです
この曲なんて80年代ですが、みんな知っています
私も大好きなジャーニーの名曲です。
スティーブ・ペリーは素晴らしいです。
国民性の違いなんでしょうか??
援助するほうがエンジョイできるんですけどねえ。