非常に残念な訃報を聞きました。
このブログでは私の思い入れの強い方が亡くなると記事にすることが多いですが、いやあ年を重ねると、本当に思い出深い方がどんどん亡くなって行きます。

人生は厳しいです。
長く生きるほどこういう思いをず~っと続けていくんですね。

小林さんは、正真正銘の大ヒーローでした。

野球が好きになり、阪神タイガースに夢中になった頃、長島選手や村山投手は引退して、王選手は不動の4番バッターでした。
阪神が優勝するのは現実には1度も見たことが無く、当時一番人気の江夏・田淵のバッテリーは子供の頃の私は全盛期が少し過ぎてからファンになったように思います。
掛布が田淵に代わるミスタータイガースを襲名する少し前、GOGO掛布という歌まで出た頃です。

作新学院の怪物江川は私は子供ながら、周りの大人が大騒ぎしていたし、法政大に行ってたころも含め有名なので知っていました。
そして、ドラフト運が全く無い江川が最後の手段で巨人の卑劣な行為で強引に巨人のユニフォームを着たときの経緯は今さら説明も無いですが、ものすごく覚えています。

大人の汚い言い訳や、屁理屈もこの出来事の中でたくさん耳にしました。
スポーツマンシップなどと程遠い、巨人の汚さは子供にも虫唾が走りました。
なぜ、それが許されるのか、意味が良く理解できないまま、江川は阪神に来ないと知りました。
そして、代わりに来るのは、何と、憎っくき巨人のエース小林と聞いてまたまたビックリでした。

長島巨人と言うチームがめちゃめちゃ似合う色男で、手足は細く長く、サイドスローはいつも阪神打線をいじめて、疫病神みたいに思っていました。

ところが、その天敵が阪神に来たんです。
プライドも何もかもズタズタにされながら私の記憶では一度たりとも文句を言わずに理不尽な移籍を承諾した小林投手にガキのくせに同情して、絶対に巨人を見返すんだ、小林さん、頼むぞ。
と、ものすごく期待しました。

そして、移籍1年目の活躍は阪神ファンならご存知の、まるで映画のような大活躍です。
巨人戦には何と8勝0敗という、ものすごいリベンジを果たしその実力で巨人球団を見返しました。
あんなに、スマートでどこにそんな力を秘めているのか神がかり的な活躍に私は感動し、人生変わることが無い阪神ファンになっていったのでした。

小林さんの現役中に甲子園球場でアルバイトでビール売りも始めました。
投球フォームの物真似でみんながすぐわかるくらいの大スターでした。

そして、細くしなやかな肉体は31歳と言う若さで限界になり、13勝しながら引退と言う惜しまれるものでした。
きっと、そこにも小林さんならではの美学があったのでしょう。

その後、あまり私も詳しくは知らないのですが、一昨年に、江川さんと酒のCMで再会して会話をするというのが話題になり、そこで笑顔で話すお2人に何ともいえない、私までうれしい気持ちになったのを覚えています。

とにかく、あんなに格好良く、さっぱりとして、恨み言も言わないで一流の仕事をする姿勢には今の人が失った男らしさを感じます。
侍でもあんなカッコいい人はそうはいないと思います。

TVでも江川さんが涙を浮かべコメントしていました。
あのCMで、和解と言うか、心の中にくすぶっていたものを話せて良かったですね。

昨年私は2人の長い付き合いの友人の訃報に際しましたが、両名とも仲良くしていた時期からずーっと会っていない時期があったのですが、久しぶりに亡くなる前に再会して楽しい思い出を残すことができました。

小林繁さんのご冥福をお祈りいたします。
あの頃の名曲を聴きながら

昔 なぜか好きで 忘れられない昭和の曲です。




これは、マニアックな1曲ですが探せばありました。魂のこもった名曲だと思っています