久しぶりに大阪で年末を迎えていますが、介護している母は、どんどん痴呆が進むし、フィリピンにいる妻の家族もいろいろと大変で、「メリークルシミマス」って感じなんです。
と、言ってもとにかく前に進むしかありませんし、実は、泣き言を言うほど先が暗いわけでもありません。
大ヒットドラマになった、「仁~JIN」を繰り返し見ながら、自分の生きた道を後世に残せるようにと、燃えに燃えております。
今年、再会した同級生にも年賀状を出そうと思いましたが、住所を教えて欲しいと連絡をしても、以外にも冷たい返答が多くて、寂しく思いました。
過去に戻れるとは思いませんが、これから再会する旧友とは仲良くしたいと思い、数名に問いかけたのですが、相手もそうだとは限らないようです。
今年亡くなった2名の友人の存在を大きく感じます。
彼らは、私が老人になっても友でいられると安心していたものだから・・・
テレビで、今話題のラーメン店と言うのをやっていたので、少し見ました。
大阪でも何店かある。「来来亭」と言う店の話でした。
フィリピンにも、来来軒があるし、よくありがちな名前の店だなあと思い、テレビを見ていました。
すごい上り調子の店だと聞き、首を傾げましたが、社長が出てきて、ファッション自慢から始まりました。
200万以上するコートに、1000万円のダイヤのネックレスをして20万円の靴を履いていると紹介しています。
社長の顔は、どう見ても、切れ者には見えないし、テレビ用にこんなことやってんのかなあと、見る気がなくなってきました。レベルの低い内容に嫌気がさしてきました。
それから新店舗の密着取材では、オープン当日の売り上げ目標70万円ってすごい数字を掲げていました。
途中で見るのを止めたので、結果は見ていませんが、きっと目標到達したように思います。
そういうパターンでしたから。
見るのを止めたのは、厨房でラーメンを作っている光景を見てがっかりしたからです。
もう食べに行きたいとは全く思いません。
ラーメン店と言うよりも、餃子の王将に近いですね。
いつか、ラーメン以外のメニューを食べに行くかもしれません。
お店を持つと、店舗を増やして儲けようと思う人は多いと思います。
私もその一人でした。
1店で毎月100万円儲かるなら、10店で1000万円儲けようと思うんです。
確かに、そうなる人もいると思うので全面的に否定しませんが、多くの場合、そうは行きません。
中には必ず、思うように売れない店が出てきます。
スタッフの問題も大きくなり、責任も大きくなります。
特によくあるのが、どんどん出店費用が高くなることが多いです。
いつの間にか、人気があった最初の店を閉めて、別の場所に総本店とかを持ちたがったりします。
欲や夢は大事ですが、欲を掻き過ぎると失敗します。
一部の大チェーン店の成功は、ほんの一握りの人が成功しただけで、誰にでも出来るものではないんですね。
私はフィリピンで飲食店を開いて成功したいと思い、必死で挑戦しました。
いまだ、夢は途中ですが、大きく自分の中で夢が変わってきました。
やっぱり、フィリピンで成功させるのは、日本で成功するよりも難しいです。
成功するためには、その国の人が中心になってくれないと、無理だと思います。
料理が上手くて、資金もあり、知識もマーケティングもすべてを備えた日本人がやってきても、一人では何も出来ません。
日本人が2人でも無理でしょう。
優秀なフィリピン人がいないと無理なんです。
日本人だけでも上手くやってる方もいるのでしょう。
でも、それは奇跡だと思います。
私は妻がフィリピン人ですから、またフィリピンで何かを始めることはあるでしょう。
まかせっきりにしては駄目ですが、信頼できるフィリピン人がいないとこれまた失敗するでしょう。
今年はそれに気がつきました。
遅すぎましたが、気がついてよかったです。
私は最近夢がひとつ増えました。
坂本龍馬の名言と言われる、「日本の国を洗濯し候」っていうのがありますが、私は「フィリピンの洗濯」に挑みたいと思っています。
自分ひとりでは全く何も出来ませんから、少しずつ考えて行動して、フィリピンと言う国の行く末を変えていく手伝いをしたいと偉そうに考えるようになりました。
幕末の志士のような志を持つというと、大げさですが、フィリピンでは、へたすると暗殺されたり、理不尽な権力者がいたり、身分の差が激しかったりします。 その様子は、今の日本には無いものです。
今風に言うと、自然を大事に、環境汚染を無くし、自給率を上げて、庶民の暮らしがよくなるような手伝いをしたいと思います。
私の好きな龍馬のように、得意の話術で、資本家をその気にさせて、人の力を使っていくことになるでしょう。
そういう人生を歩めるように、まずは、大阪の仕事を軌道に乗せねばなりません。
まだ、幕末で言えば、私は、田舎の下級武士です。
そこからスタートです。
と、言ってもとにかく前に進むしかありませんし、実は、泣き言を言うほど先が暗いわけでもありません。
大ヒットドラマになった、「仁~JIN」を繰り返し見ながら、自分の生きた道を後世に残せるようにと、燃えに燃えております。
今年、再会した同級生にも年賀状を出そうと思いましたが、住所を教えて欲しいと連絡をしても、以外にも冷たい返答が多くて、寂しく思いました。
過去に戻れるとは思いませんが、これから再会する旧友とは仲良くしたいと思い、数名に問いかけたのですが、相手もそうだとは限らないようです。
今年亡くなった2名の友人の存在を大きく感じます。
彼らは、私が老人になっても友でいられると安心していたものだから・・・
テレビで、今話題のラーメン店と言うのをやっていたので、少し見ました。
大阪でも何店かある。「来来亭」と言う店の話でした。
フィリピンにも、来来軒があるし、よくありがちな名前の店だなあと思い、テレビを見ていました。
すごい上り調子の店だと聞き、首を傾げましたが、社長が出てきて、ファッション自慢から始まりました。
200万以上するコートに、1000万円のダイヤのネックレスをして20万円の靴を履いていると紹介しています。
社長の顔は、どう見ても、切れ者には見えないし、テレビ用にこんなことやってんのかなあと、見る気がなくなってきました。レベルの低い内容に嫌気がさしてきました。
それから新店舗の密着取材では、オープン当日の売り上げ目標70万円ってすごい数字を掲げていました。
途中で見るのを止めたので、結果は見ていませんが、きっと目標到達したように思います。
そういうパターンでしたから。
見るのを止めたのは、厨房でラーメンを作っている光景を見てがっかりしたからです。
もう食べに行きたいとは全く思いません。
ラーメン店と言うよりも、餃子の王将に近いですね。
いつか、ラーメン以外のメニューを食べに行くかもしれません。
お店を持つと、店舗を増やして儲けようと思う人は多いと思います。
私もその一人でした。
1店で毎月100万円儲かるなら、10店で1000万円儲けようと思うんです。
確かに、そうなる人もいると思うので全面的に否定しませんが、多くの場合、そうは行きません。
中には必ず、思うように売れない店が出てきます。
スタッフの問題も大きくなり、責任も大きくなります。
特によくあるのが、どんどん出店費用が高くなることが多いです。
いつの間にか、人気があった最初の店を閉めて、別の場所に総本店とかを持ちたがったりします。
欲や夢は大事ですが、欲を掻き過ぎると失敗します。
一部の大チェーン店の成功は、ほんの一握りの人が成功しただけで、誰にでも出来るものではないんですね。
私はフィリピンで飲食店を開いて成功したいと思い、必死で挑戦しました。
いまだ、夢は途中ですが、大きく自分の中で夢が変わってきました。
やっぱり、フィリピンで成功させるのは、日本で成功するよりも難しいです。
成功するためには、その国の人が中心になってくれないと、無理だと思います。
料理が上手くて、資金もあり、知識もマーケティングもすべてを備えた日本人がやってきても、一人では何も出来ません。
日本人が2人でも無理でしょう。
優秀なフィリピン人がいないと無理なんです。
日本人だけでも上手くやってる方もいるのでしょう。
でも、それは奇跡だと思います。
私は妻がフィリピン人ですから、またフィリピンで何かを始めることはあるでしょう。
まかせっきりにしては駄目ですが、信頼できるフィリピン人がいないとこれまた失敗するでしょう。
今年はそれに気がつきました。
遅すぎましたが、気がついてよかったです。
私は最近夢がひとつ増えました。
坂本龍馬の名言と言われる、「日本の国を洗濯し候」っていうのがありますが、私は「フィリピンの洗濯」に挑みたいと思っています。
自分ひとりでは全く何も出来ませんから、少しずつ考えて行動して、フィリピンと言う国の行く末を変えていく手伝いをしたいと偉そうに考えるようになりました。
幕末の志士のような志を持つというと、大げさですが、フィリピンでは、へたすると暗殺されたり、理不尽な権力者がいたり、身分の差が激しかったりします。 その様子は、今の日本には無いものです。
今風に言うと、自然を大事に、環境汚染を無くし、自給率を上げて、庶民の暮らしがよくなるような手伝いをしたいと思います。
私の好きな龍馬のように、得意の話術で、資本家をその気にさせて、人の力を使っていくことになるでしょう。
そういう人生を歩めるように、まずは、大阪の仕事を軌道に乗せねばなりません。
まだ、幕末で言えば、私は、田舎の下級武士です。
そこからスタートです。